第五十一話 暴力の代償その六
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「今じゃね」
「いなくなったの」
「ええ、このままどんどん減っていきそうね」
「いいことよね」
「けれど悪い人自体はね」
それそのものはというのだ。
「いなくならないわよ」
「そうなの」
「世の中何時でも何処でもよ」
「悪い人がいるのね」
「いい人がいてね」
それと共にというのだ。
「それでよ」
「ヤクザ屋さんがいなくなっても」
「それでもね」
「悪い人自体はいるのね」
「そうよ、それで悪い人は悪い場所にね」
俗にそう言われるところにというのだ。
「集まるのよ」
「類は友を呼ぶ?」
「そんな感じでね」
まさにそんな風でというのだ。
「ヤクザ屋さんの世界に悪い人が集まって」
「悪い人達の溜まり場に」
「悪い人達が集まるのよ」
「そうなっていくのね」
「ヤクザ屋さんが減っても悪い人達はいて」
「悪いことをしていくのね」
「集まってね」
そのうえでというのだ。
「そうしていくわ」
「これからも」
「それも世の中よ。完全に奇麗にしようとしても」
それでもというのだ。
「汚いものはどうしてもあるし」
「悪い人達もいて」
「悪いことをするのよ」
「悪い人は完全にいなくならないのね」
「減らすことは出来ても」
それでもというのだ。
「悪い人が一人もいなくなることはね」
「ないってことね」
「石鹸やハンドソープで手を丁寧に洗っても」
その様にしてもというのだ。
「けれどね」
「ばい菌が完全になくなるか」
「それはないから」
それもまた世の中だ、幾ら丁寧に手を洗っても細菌は完全にいなくなるといことはないのだ。母は言うのだった。
「世の中もよ」
「悪い人は残るのね」
「何があってもね」
「そうなのね」
「ただヤクザ屋さんが減ったことはね」
そしてそれが続いている。
「いいことよ」
「そのこと自体は」
「とてもね」
留奈の母このことはまた素直に微笑んで話した。
「やっぱり」
「そうなのね」
「入れ墨あったら」
ヤクザ者の代名詞でもあるそれがというのだ。
「お風呂屋さんだって行けないし」
「昔は行けたのよね」
「ええ、だから子供がお風呂屋さん行ったらね」
そうすればというのだ。
「奇麗な絵が見られるとかね」
「ヤクザ屋さんの入れ墨ね」
「背中とかのね」
「それを絵って言ってたのね」
「昔はそうだったのよ」
かつてはというのだ。
「お母さんが小さい時はまだね」
「そうだったのね」
「大阪とかはね」
「そうなのね」
「もう全身入れてる人もね」
ヤクザ者の中にはというのだ。
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