第八十話 夏祭りが近付きその十一
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「好きよ」
「じゃあ伊藤さんと乃木さんどちらが好きかしら」
「やっぱり伊藤さんでしょ」
咲は母に笑って答えた。
「面白痛快過ぎてね」
「一緒になるなら」
「もう明治の人なら一番よ」
それこそというのだ。
「一緒になりたい人よ」
「そこまでなのね」
「夏目漱石さんや野口英世さんはアウトでも」
それでもというのだ。
「伊藤博文さんはね」
「好きなのね」
「ええ」
はっきりとした返事だった。
「私としては」
「さっき出した人達はね」
「結構あれでしょ」
「そうなのよね」
母も否定しなかった。
「どうにもね」
「夏目漱石さんってDVだったし」
「当時から見ても酷かったし」
この文豪の一面でもある。
「お世辞にもね」
「いい人じゃなかったわね」
「あの、DVはね」
即ち暴力はというのだ。
「親としてはね」
「論外なのに」
「自分の子供が暴力を受けて」
その状況でというのだ。
「お前が悪い、我慢して耐えろとかね」
「言ったら駄目ね」
「それ親失格よ」
その時点でというのだ。
「悪いことして怒られるならいいにしても」
「それでもなのね」
「何度も感情的に罵られて殴られて蹴られて」
そうしてというのだ。
「否定されて投げ飛ばされて凶器で攻撃されてよ」
「我慢しろって言ったら」
「自分が学生時代部活でそうだった?その部活がおかしいのよ」
そうだというのだ。
「言うけれどナチスやソ連が普通かしら」
「絶対違うわね」
咲も真顔で否定した。
「ナチスやソ連って」
「こうした国は酷い暴力で国民を支配したのよ」
「ゲシュタポとかKGBで」
「そうよ、暴力受けても我慢しろって」
そうした主張はというのだ。
「もうね」
「ナチスやソ連と同じね」
「理不尽な暴力でもね」
それを受けてもというのだ。
「受けても我慢しろっていうのは」
「間違いよね」
「それ昭和だから」
この時代の論理だというのだ。
「もっと言えばその昭和の論理もね」
「間違っていたのね」
「暴力受けても我慢しろなんてね」
それがトラウマや身体の傷になってもだ、こんな話は日教組つまり日本教職員組合が強い都道府県なら幾らでもある。
「自分が乗り越えてもね」
「おかしいのね」
「受け身を知らない子を床の上で背負い投げしたらどう?」
これも現実にあったことだ。
「柔道のね」
「柔道の技って畳の上でするわよね」
「それが投げられた時の衝撃を消すからね」
だから柔道では畳を絶対に敷くのだ。
「そしてまず最初にね」
「受け身教えるのね」
「それなのによ」
柔道もっと言えば武道の常識中の常識であるが。
「受け身を知らない子にね」
「床の上でな
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