191章 信也の作った『 平和の世界をつくっていこう 』大ヒットする
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つかは 快感に 到達 できると 空しく
もがく 哀れな 人である。もし あなたが 後者なら、
すぐに 快感を 求める 方向を とりなさい。
与えられた 生命は 長くはない。』
次は この本の 210ページの 栗本さんの 言葉です。
『 生きる 意欲は どこから くるのか。
生きる 意欲は、生きること それ自体、または 生きることによって
可能になるが、生きている 個体に《 快感 》をもたらす ことによって
生み だされる。私たちは、腹が 減ったから 食物を 口にすると
考えがちだが、それは 単純にして まちがっている。
飢えを 感じても、それが 何かを 食べることの 快感の 予感と
結合しなければ、ヒトは 食べ物に 向かわないのだ。
したがって、拒食症とは、かなり 深刻な 病である。
異性が 好きであっても、セックスの 快感が 予感されなければ、
話をするだけに とどめておこうと するだろう。 あるいは、
逆に それに溺れることを恐れて、遠ざかることもある。
学問にせよ、スポーツにせよ、普通の生活にせよ、ヒトは、
快感の 導くようにしか 活動しない。
となると、快感、充足感、
それらの 真 の 姿は、いったい 何なのだろう。
< 中略 >
私は《 パンツを はいた サル 》のなかで、もともと なくても
生きていけるものだが、それがないとヒトではなくなるものを、
まとめて《 パンツ 》と表現した。なくても いいものとは、
つまりムダであり、過剰(かじょう = 多すぎて あまること)である。
私たち ヒト の 行為は、95 % が むだである。95 % ?
せめて 60 % ぐらい だろう、という 人は 甘い。
< 中 略 >
どうしても 捨てなければならない パンツとは。
しかし、無駄なことにも かかわらず、ヒトが そこに 猛然
(もうぜん)と 邁進するのは、その 方向に 突進すると
快感が 増大するように、ヒトの 脳が セット されているからだ。
何のかんのと言っても、ヒトは 自分が 嫌いなことは
たった ひとつでも やらないのである。
< 中 略 >
集団的 暴力 が 快感 として セット されている。これは 大きな パンツ
の なかでも、もっとも 怖い ものの ひとつ である。
私たちは、何を 排してでも、この パンツ を
捨てねば ならぬのでは ないか。
< 中 略 >
要するに、人殺し でなくても、ほかの 快感なら いい のではないか、
というのが 新しい方向である。新しい 快感 を、快い 快感
にするか、それと
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