191章 信也の作った『 平和の世界をつくっていこう 』大ヒットする
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・哲学 入門 』の
311ページ で こんなこと 言っています。
『 ニーチェ と バタイユ、この 二人の 哲学者は、人間 存在の 本質を
《 生の エロス 》への 欲望として 洞察した はじめての 哲学者と
みなしてよい。ニーチェの 本質 洞察は 以下である。
芸術は、美や 恋愛が 人間にとってもつ 意味と 本質を 共有している。
さまざまな 生の 不遇、酷薄、
軋礫(あつれき=不仲)、困苦、
艱難(かんなん=苦労をすること)、悲惨、絶望、災厄
などにも かかわらず、生を 是認(ぜにん=よいとして認めること)、
肯定(こうてい=積極的に 意義を 認めること)し、
生の 享受と 憧れを
支えるもの としての 芸術。』
この『 ニーチェの 本質 洞察 』は、竹田さんの『 陽水 の 快楽 』で
探究した 哲学 と 方向性 が みごとに 一致 している と 僕は 感じます。
さて、ちょっと お話しは 変わりますけど。
『 欲望 』とは、『 快感 』とは、同じような 意味でもあり、
密接な 関係が ありますよね。それで なんですけど。
経済 人類 学者 の 栗本 慎一郎(くりもと しんいちろう)さんは
『 パンツを 捨てる サル 』という 本の16ページで、
『《 快感 》が 人を 支配する 』と 題して 次のように 言ってます。
『《 快感 》が 鍵である。快感 こそが、ヒトの 生きる 意欲や
形態上の 変化の もととなる エネルギー を 絞り 出せる 根拠だ。
はっきり 言おう。快感が セット されれば、ヒトは なんでも やって
のけるでは ないか。私は カンボジアの ポル・ポト政権 が 400万 とも
500万人 ともいわれる 大量 虐殺 を 行なったのは、政府 中枢 から
末端の 兵士までが、人を 殺すことの ある種の 快感に 導(みちび)かれた
結果ではないかと、と ある 根拠に したがって 考えている。
思想や 理想や 正義などと いったものは、快感に 導かれて
行った ヒトの 行動に 対して、学者が あとから
言葉による 説明を 与えたものに すぎない。
快感によって セット された 行動は、ヒト だけのものではない。
じつは、すべての 動 植物 が、おのおの の 快感の 方向に 向かって
生命 反応 をしながら 生きている。
快感は、すべての 生命の 生きる 意欲を 決定している。
快感ではなく、苦しみながら 生き抜くのが 好きだという人は、
苦しみを 快感に 変える マゾヒズム 的 な 人 なのだ。
でなければ、い
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