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曹参伝
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 ある時役人が官舎で宴を開き、近くに屋敷を構える丞相(王陵(おうりょう)か?)の従者たちは騒音に悩まされていた。そこで従者たちは曹参を屋敷へ招き、騒音を聞かせ役人たちを処罰させようと考えた。しかし曹参は騒音を聞くやいなや処罰するどころか宴に参加してしまった。

 曹参は小さな過失を咎めなかったため役所では罪を得る者がいなかった。

 
 ある時、恵帝は曹参の堕落具合を見て中大夫(ちゅうたいふ)(朝議を司る官)で曹参の息子である曹?(そうちゅつ)に命を出した。

「曹相国(曹参のこと)にその職務について詰問せよ。ただし朕の名は出さぬようにせよ。」

曹参の屋敷にて曹?が諫言すると曹参は大いに怒って曹?を200回鞭打って、そして怒鳴った。

「すぐに参内して帝(恵帝のこと)の側へ仕えよ。天下のことをお前(曹?のこと)が語る資格はない。」

これを聞いた恵帝は曹参を叱責した。

「曹?のことは朕が命じたのにどうして鞭打ったのか。」

これに恐縮して曹参は冠を脱いで謝罪し、そして恵帝に質問した。

「時に、私は故蕭相国に及ぶでしょうか。」

恵帝答えて曰く。

「及ばぬ。」

曹参続けて問う。

「今上皇帝(恵帝のこと)は亡き高祖に及ぶでしょうか。」

恵帝再び答えて曰く。

「及ばぬ。」

曹参口を開く。

「私も今上皇帝も先人に及びません。ならば我らの成すべきことは先人の功績を保ち後世に伝え切ることではないでしょうか。」

恵帝はそれを聞き恥じてもうそれ以上何も言わなかった。


 恵帝5年(紀元前190年)に曹参は没した。諡は()侯である(()は美諡であり美徳、道理にかなった行動の意味)。

 
 民衆は前漢で唯二人、相国となった蕭何と曹参を讃えて歌を詠った。

「蕭何、法を(つく)
 ?(あきら)かなること一を画するがごとし
 曹参、(これ)に代わり
 守りて失うなし
 その清浄を(おこな)
 民もって寧一なり」
(蕭何は明白なる法を創り、曹参はそれを堅守した。)

 史記曹相国世家において司馬遷は「軍功はひとえに韓信のおかげなり、内功はひとえにその才ゆえなり」という評価を贈った。

 跡は曹?が継いだ。

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