暁 〜小説投稿サイト〜
つれづれなるままに中国史〜小説づくりにどうぞ〜
曹参伝
[2/7]

[1] [9] 最後 最初
捕虜とした。

 このうち雍丘についての功績があることから雍丘が反秦の拠点となっていたと分かる。
 
 高祖は曹参を執帛(しつぱく)()独自の爵位)に封じ、建成君(けんせいくん)と号させ(せき)県の県令として?郡に属させた。

 この後の功績を挙げる。
・高祖と共に秦の(とう)郡の()(郡の治安維持官で姓名は不明)を成武(せいぶ)県南部で破った。
・高祖と共に秦将の王離(おうり)とその軍を成陽(せいよう)県南部で破り、また杠里(こうり)で破った。
・進出した開封(かいほう)で秦将の趙賁(ちょうほん(もしくは趙賁(ちょうひ))を、曲遇(きょうぐう)で秦将の楊熊(ようゆう)を攻撃し司馬(しば(千人隊長)と御史(ぎょし)(軍監察官)をそれぞれ捕虜にした。
・高祖と共に陽武(ようぶ)を攻めて?轅(かんえん)?氏(こうし)を制圧したのち黄河(こうが)の渡り場を封鎖して趙賁を尸郷(しきょう)北部で討ち取った。
・高祖と共に秦の南陽(なんよう)郡守の呂?(りょぎ(史記にはただ?()とあるのみだが後漢(ごかん)荀悦(じゅんえつ)漢紀(かんき)に姓として(りょ)が見える)を陽城(ようじょう)の城の東壁にて大破し、(えん)まで追撃して捕え、?(しゅう)を攻略した。ここに南陽郡は完全に支配下に収まった。
・高祖と共に武関(ぶかん)嶢関(ぎょうかん)を陥れ、その先へ進み藍田(らんでん)北部、東部に夜襲をかけ秦軍を破った。
 
 曹参は楊熊を破った功績で爵位が執珪(しつけい(珪とは玉の意だが圭が土地を表すため土地を持つ諸侯になったという意味もある)となっている。藍田での戦いののち高祖に従って咸陽(かんよう)へ入城し秦王子嬰(しんおうしえい)の降伏を見届けた。この時から史記では高祖元年(紀元前206年)とする。
 
 漢中(かんちゅうおう)王となった高祖によって建成(けんせい)侯に封ぜられる。
これに伴い将軍に任命される。

 高祖元年楚漢戦争が始まる。ここからは対西楚(せいそ)戦での功績を挙げていく。

下弁(かべん)故道(こどう)(よう)?(たい)(台に同じ)を攻略し、章平(しょうへい)(ただし史記高祖本紀のみ章邯としている)の軍を好畤(こうじ)に包囲したのち(その後章平(史記高祖本紀では章邯)は逃亡している)壌郷(じょうきょう)を占領しその東と櫟陽(れきよう)にて三秦(さんしん)(雍、(さい)?(てき)の旧秦の三封国)の軍を破った。
・趙賁の配下であった内史(ないし)(首都近辺の長官)の()(姓は不詳、内史の官は趙賁の戦死後に得たか)を討って咸陽を制圧する。

 趙賁についてだが実は戦死しておらず、そのまま三川郡の守備を行っており秦滅亡の際に章邯の下で側近を務めていたとされる説もある。し
[1] [9] 最後 最初


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2024 肥前のポチ