第三十三話 夏が近付いてその八
[1/2]
[8]前話 [1]次 最後 [2]次話
「変な知識だけ詰め込んで勝手に自分はこの世で一番偉いと勘違いした」
「いや、本読むのなんてね」
「読み書き出来たらよね」
「誰でも出来るしそんな人ってまともな本読むかしら」
「読まないでしょうね」
あっさりとした返事だった。
「だってまともな見方も考えもしない人だから」
「修行させてもらってそこの仕組みの悪口なんて普通言わないわよね」
「まともな見方や考えだったらね」
それならというのだ。
「まずね」
「そうよね」
「兎に角どんなにしてもらっても感謝しない人だったのよ」
「文句言うだけだったのね」
「人間何かを批判したつもりになっているとね」
母はさらに話した。
「問題点に気付いてそれを指摘出来る自分は偉いとね」
「思えるの」
「そう、そしてね」
それでと言うのだった。
「やたら言いたがる人がいるのよ」
「そういうものなのね」
「この人やたら説教好きだったらしいけれど」
「それも一緒ね」
「人にやたら言う人は人の問題点ばかり見てね」
「あっ、自分はなのね」
留奈もはっとなった顔になった、わかったということが自分でもわかった。そのうえで母に対して話した。
「見えてないのね」
「批判出来る自分偉いと思ってね」
「自分は省みないで」
「天狗になってるのよ」
「けれど実はなのね」
「自分を顧みないからね」
だからだというのだ。
「全く駄目なのよ」
「批判出来る自分偉いじゃないのね」
「そうよ」
これは戦後の考えも影響しているだろうか、戦後民主主義は第二次世界大戦の破局に至ったのは体制を無批判に受け入れたからだと思い込んだのだ、その為批判精神を身に着けるべきと唱えたのである。ただし日本には言うが共産主義は批判しないというダブルスタンダードでありハンガリー動乱等では醜悪な用語に徹していた。
「それで批判というか文句をね」
「言ってたのね」
「そうなの」
まさにというのだ。
「その人もね」
「自分を偉いと思ってね」
「それで偉いと思いたい為に」
「あれこれね」
「どうでもいいこと言ってたのね」
「それで周りに馬鹿なことを言ってるとね」
その様にというのだ。
「思われていたのよ」
「偉いどころか」
「だって仕組みとかどうでもいいから」
それはというのだ。
「大事なのは教えであり人でね」
「そうしたことを言わないで」
「いいと思わないでね」
「そんなこと言ってたのね」
「それで本人は別れた奥さんが出て行く時に爪切りまで持って行ったって言ったのよ」
「爪切り!?」
留奈はそう聞いて顔を顰めさせた。
「そんなの持って行かれてもいいでしょ」
「それをそう言ったのよ」
「器の小さい人ね、そんなことまで言うなんて」
「というか爪切り
[8]前話 [1]次 最後 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ