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勇者と少女
勇者と少女
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前は、『チェルノブイリ原子力発電所』といえば、誰もがその名を知っていた。



 1986年、4月26日。旧ソビエト社会共和国連邦にあるチェルノブイリ原子力発電所が炉心溶融(メルトダウン)し、放射能は世界中に散らばった。



 8000キロ離れた日本にも、死の灰は風に乗って流れてきた。



 2011年、3月12日。その日本で、前日未曾有(みぞう)の大地震に見舞われた福島原子力発電所が、水素爆発。放射能は日本を包み込み、世界に流れた。



 二度の大災害…しかし世間は、原子力発電所を作り続けた。



 そしていつの間にか、放射能汚染は人の手に負えないところに来てしまった。



 ここまできてしまった、原因は何だったのか。それの明確な答えは、誰も出せないだろう。あえて言うのなら、それは人の心だ。人間は大きな教訓から学ぼうともせず、原子力発電所は増え続け、戦争には原子力爆弾が使われた。理由は単純だ。それにかかる手間よりも、得られる目先の利益の方が膨大だからだ。地球の資源を損なうことなく大量の電力を捻出できる、一度に大量の人間を虐殺できる。だからリスクを無視して使う。極少数の権力者は大多数の叫びを踏みつぶした。風が吹くまで待ったり、ピストルでひとりずつちまちま殺したりなんてしない。そのリスクを負うのは、当然自分たちではないことを知っているからだ。原発の危険区域からは遠く離れた絶対に安全な自宅で、発電された電気を安穏と消費している。



 原子力爆弾。水素爆弾。その威力は殺人兵器という意味で認められるところであるが、かつては公に使用する国はなかった。大量虐殺兵器は、倫理的に問題があると、表面上は善人ぶっていた国際社会は言っていた。戦争では非戦闘民を殺さない。毒ガスや細菌兵器、原子力爆弾などは非人道的であるから使わない。それが表のルールだった。人道的という単語はよく戦争の逃げ道に使われた。敵国を(おと)し自国の正当性を主張するために。



 人は誰でも死にたくない。それは戦争をしているどの国も同じだった。2000年にはいってから、戦争は急速に無機物化した。遠距離操作のロボットが大量に使われた。ロボット対ロボット。(らち)があかない戦いだ。そこで、国は誤爆と見せかけて非戦闘地域に攻撃をするようになった。一度に、できるだけ沢山攻撃できるように、原子力爆弾と細菌兵器をたっぷり搭載した飛行機を飛ばして。



 パイロットは安全な自国でのんびり本を読み菓子をつまみながらボタンを押すだけでいい。それだけで敵が大量に死んだ。戦争にありがちなPTSD(心的外傷後ストレス障害)や精神錯乱を引き起こすこともなく、殺人はゲームと化した。兵隊は殺した数を競い合い、殺戮の様を面白おかしく語り合った。涙を
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