第三部 1979年
孤独な戦い
月面降下作戦 その2
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日ソ間交渉は、第三世界で行われることが決定し、日本代表団は直ちに南に向けて出発した。
マサキたち一行は、パキスタンに来ていた。
日本政府のチャーターした日本航空で、大型機のDC-10。
羽田から14時間のフライトで、イスラマバード国際空港に着陸した。
チャーターしたDC-10の搭乗口から、伸びる赤い絨毯。
居並ぶ儀仗兵に、大臣や通訳などの外交関係者。
その先には、灰色の詰襟姿の偉丈夫が立っていた。
男は、外交使節団長の御剣と話した後、マサキの方に歩み寄ってきた。
右手を差し出し、握手をすると、
「やあ、パキスタンへようこそ。
貴方が歴戦の強者、木原博士ですか。噂はかねがね伺っております」
声をかけてきた男は、パキスタンの大統領だった。
左派政策を進める首相をクーデターで追放した人物でもあった。
「機会があれば、もっと早く来る筈であったが、途中で手間取ってな……」
マサキは、なお少し、ためらっている風だった。
彼は、はなはだ冴えない顔をしていた。
ふと御剣のうしろに立って、ニヤニヤ笑みをふくんでいる鎧衣が眼についた。
『鎧衣め、俺の気弱さを笑うのか……
よし、ここはひと騒ぎを起こしてやろう』
マサキも、遂に肚をきめた。
パキスタンに核を配備し、ソ連と友好関係にあるインドを叩くことにした。
「パキスタンは、インド亜大陸における自由の砦だ。
俺個人としては、貴様らの核武装には全面的に賛成している。
核によるソ連の封じ込めの方が、核軍縮などという、ソ連を利する愚策より、ずっとましだ。
パキスタンの核をもって、ウズベクのタシケント空軍基地を攻撃させる。
その方が世界平和に寄与する」
思えば、日本外交の不幸と悲劇は、対露融和の政治家が対外政策を行うことによって発生した。
幕末の川路聖謨であり、明治初期の榎本武明の領土割譲である。
また大正期の後藤新平や戦前の東郷重徳、松岡洋介らの誤ったソ連接近である。
あの時、日ソ不可侵条約などなければ、ドイツを支援すべく、満蒙の地からシベリアに進撃したであろう。
ソ連崩壊も1991年を待たたずに、50年早く訪れていたであろう。
ソ連への第二のシベリア出兵は、世界から共産主義の闇を消す「聖戦」となったかもしれない。
あの大東亜戦争の悲劇も、またふせげたのではなかろうか。
対露対決という姿勢で日本の外交を行うとき、日本は世界に輝く国家となる。
明治において、対露姿勢を明確にした陸奥宗光や小村寿太郎が外相を務めた時、日本の外交は万全となった。
そして、日露戦争に勝利したとき、日本は世界の列強に伍する国家になった。
マサキは、個人的な恨みも含めて、対露対決こそ国益にかなうと信じてやまなかった。
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