改訂 186章 映画『クラッシュビート・心の神様』大ヒットする
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「それは ちっぽけなもの ではなくて、われわれを 一呑みにする
巨大で 深遠な ものなのだ」ということである。
ウィトゲンシュタインの『人は 、語りえないものについては、沈黙しなければならない』
という言葉こそを 現代人は深く味わうべきではないか。』
難しい お話しなんか、聞きたくないですよね。
このへんで、やめときたいです。心菜ちゃん、あっははは」
信也は そう言って笑って、温かい カフェオレ を 飲む。
「まあ、神様を信じることには、ウィトゲンシュタインも言うように、
その存在の証明には、科学的にも 言語的にも 限界もありますよね。
人それぞれが、感じて 信じたりするしかないものなんでしょうね。
世の中には、いつまでたっても 戦争や 悪事や 悲劇は 無くならないし、
愚かなことは 繰り返されます。
これは、人の心に問題があるということで、心が 荒廃しているからだと言えると思います。
心の荒廃を止めるためには、やはり神様のような 清い 存在が必要なんでしょうかね。
神様にしても、おれは、人それぞれに、自分の信じる神様を イメージしたり
想像して、信じればいいのだと思います。
その神様を 悪用したり 利用したりしてはいけませんよね。
美しい 生命や 自然や 宇宙を 創造した 神様は、
感謝すべき、愛のある 尊い 存在だと 思います。
インターネットの『フリー百科事典『ウィキペディア』によると、
詩劇『ファウスト』や 小説『若きウェルテルの悩み』で知られる
ドイツの文豪の ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ は、
『各々が 自分の 信じるものを 持つことこそが
真の 信仰であるという 汎神論的な 宗教観を持つに至った。』そうです。
おれの イメージしたり、信じる『神様』は、ゲーテに とても 近いと思っています。
汎神論とは、
『 万物は 神の 現れであり、万物に 神が 宿っており、
一切が 神そのものであるとする宗教・哲学観。』のことです。
ゲーテはこんなことを言ってます。
適菜 収さんの 編集の『ゲーテに学ぶ 賢者の知恵』からですが。
『神をおとしめない。ゲーテにとって神とは、人間の理解を超えた
思考の存在だった。よって、世間の神の解釈にはあきれていた。
「人々は理解することも 想像することもできない 至高の存在を、
まるで 自分たちと同じものであるかのように取り扱っている。
そうでなければ、主なる神、愛する神、善なる神 などと言えないだろう」
神を世俗の次元におとしめてはならない。』
このゲーテの言葉は、なるほどと、感心します。
ただ、ど
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