第四十二話 完成その五
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「お母さんもお父さんも今もよ」
「勉強してるのね」
「一生だから」
「奥さんとしてお母さんとして」
その両方でというのだ。
「そうしているのよ、最悪でもつもりよ」
「つもりって」
「他の人から見たらしていないかも知れないから」
勉強していないというのだ。
「だからこう言うのよ」
「そうなの」
「そう、そしてね」
それでというのだ。
「一生勉強っていうのはね」
「結婚してからもなの」
「ずっとよ、若し咲が結婚して子供が出来たら」
「それからはなの」
「今度はお祖母ちゃんとしてね」
笑って話した。
「勉強よ」
「自然となるものじゃないのね」
「勉強してなっていくものよ」
「お祖母ちゃんも」
「お祖父ちゃんもね」
こちらもというのだ。
「そうなのよ」
「親になるのも勉強で」
「お祖父ちゃんお祖母ちゃんになるのもね」
「孫が生まれてじゃないのね」
「血縁ではそうでも人としてそうなるにはね」
それにはというのだ。
「努力して」
「お祖父ちゃんお祖母ちゃんになるのね」
「そうよ、だから咲もね」
「努力してなのね」
「奥さんになってね」
そうしてというのだ。
「お母さんになるのよ」
「そして将来はなのね」
「お祖母ちゃんにもね」
「なるのね」
「努力して」
「そうなのね」
「人間一切努力しなかったらね」
母は咲にこうも話した。
「子供のままよ、性悪な子供がそのまま大人になったら」
「そんな人もいるのね」
「いるわよ、幼稚で非常識でね」
「碌でもない人ね」
「一切そうした努力をしなくて」
そうして生きて来てというのだ。
「性悪な子供がそのままね」
「歳だけ取った」
「そんな人がいるから」
「そうなったらどうしようもないわね」
「童心は大事だけれどね」
いい意味での子供の心である、純粋なものであり中国明代の思想家である李卓吾はこれを唱えていた。
「幼稚なのは駄目よ」
「童心と幼稚は違うのね」
「この場合の子供っていうのはね」
「幼稚ってことね」
「そうよ、お年寄りになっても幼稚な人はね」
「駄目なのね」
「童心は持っても」
それでもというのだ。
「幼稚になっては駄目よ」
「その違いが難しいのね」
「そう、子供みたいという言葉も」
これもというのだ。
「童心とね」
「幼稚があるのね」
「そういうことよ、咲も童心を持ってね」
「幼稚にはならないことね」
「子供のいい部分は持ったままで」
そうしてというのだ。
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