第六幕その八
[8]前話 [2]次話
「織田作さんは行ってるだろうね」
「やっぱりね」
「大阪の人だから」
「通天閣にも行ったんだ」
「そうだったんだ」
「そう、そしてね」
先生はさらにお話しました。
「織田作さんは大阪城にも天王寺動物園にもね」
「行ってるんだ」
「大阪の他の場所にも」
「そうしてるんだ」
「そうだと思うよ、大阪に住んで」
そしてというのです。
「大阪のあちこちを歩いて知って愛していた人だから」
「それでだね」
「通天閣にも行って」
「それでこうして大阪の街を見ていたんだ」
「そうだったんだ」
「そうだと思うよ、若しも」
先生は少し悲しいお顔になってお話しました。
「結核が治って長生き出来ていたら」
「二代目の通天閣にも入って」
「それで観ていたかも知れないんだね」
「それで戦後の大阪の街も書いていた」
「そうだったのね」
「そうだったと思うよ、何しろ三十四歳で亡くなってるから」
その若さでというのです。
「昭和が終わってもね」
「平成になっても」
「まだ生きていたかも知れないんだね」
「結核でなかったら」
「そして結核が治っていたら」
「結核はずっと助からない病気で」
それでというのです。
「今も危険だけれどね」
「それで昔の日本でも罹る人多かったんだね」
「織田作さん以外もね」
「色々な人が罹って命を落としていて」
「怖い病気だったんだね」
「新選組の沖田総司さんや志士の高杉晋作さんもだったけれどね」
結核だったというのです。
「本当に梅毒と並んで」
「怖い病気だったんだね」
「日本においても」
「それで織田作さんもそれで命を落としているから」
「先生としても」
「残念だよ、あと十年早かったら」
ペニシリンの開発と普及がです。
「織田作さんも助かっていたよ」
「あと十年」
「その十年が恨めしいね」
「十年早いと」
「織田作さんは長生き出来て」
「もっと多くの作品を書けたかもね、そしてね」
先生はさらに言いました。
「織田作さんは大阪を楽しめて愛し続けていられたよ」
「無念だね」
「そう思うと尚更だよ」
「もっと大阪を楽しんで欲しかったね」
「そして書いて欲しかったね」
「心から思うよ」
先生は残念な気持ちで言いました、その後で新世界の洋食屋に入ってそこでオムライスを食べましたが。
先生は笑顔でこう言いました。
「オムライスはとてもいいね」
「これ反則よ」
ポリネシアはこう言いました。
「美味し過ぎるわ」
「他の国にないよ」
ホワイティも言います。
「こんな食べものは」
「オムレツの生地の中にチキンライスがあってね」
ジップは皆と一緒にとても美味しそうに食べています。
[8]前話 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ