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絶撃の浜風
外伝 夕張編 01 平賀の妄執
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(2021年6月5日 6月17日 執筆)













 兵装実験軽巡夕張・・・・かつて艦艇設計の神様と言われた平賀譲が生み出した、海軍史上最も小型で重武装の軽巡洋艦として皇紀2583年に竣工した

 当時の大日本帝国海軍は、不況による海軍予算の逼迫により、より小型の艦艇に、可能な限りの重武装を積む事を目標としていた

 そしてそれは平賀が提唱し、長良型一隻分の予算を当てて試作された軽巡洋艦夕張の出現によって、この難題に一つの回答が示されたのである


 基本計画番号F42・・・Fは駆逐艦に当てられる記号である。当初は《綾瀬》と銘々されていたその艦は、基準排水量わずか3100t。天竜型どころか秋月型駆逐艦とほぼ同じ大きさの、とても小さな艦体であった・・・・・だが、


 たった一隻だけ試作されたその艦は、5500t級軽巡と同等の攻撃力を有していた


 全ての砲を艦の中心線上に配する事で、片舷に全砲門を指向させる事が可能になり、小型化による砲塔の減少を補い、砲力を維持する事に成功した。他にも補強と防水隔壁を兼ねた縦隔壁や、高張力鋼を裏当てする構造体一体型装甲材の使用、タービンの小型化など、様々な新機軸が盛り込まれていた

 夕張の登場以後、日本の軍艦は、特に重巡洋艦は夕張の設計思想をベースに建造される事となった・・・・そう・・・夕張の存在意義は、コンパクトな艦体に重武装を施す設計思想の礎を築いた事に集約されているといっても過言ではない


だが・・・


小型の艦艇に重武装を詰め込むという思想は、様々な問題を内包していた


 艦艇が小型化しても、人員は変わらない。乗務員は狭い艦内に押し込められ、居住性は劣悪を極め、病気の発生も増え、ストレスは半端なかった

 本来積むべきではない重武装を小型艦艇に搭載するという事は、嫌が上でもトップヘビーとなり、横転の危険性を孕んでいた

 偵察機用のカタパルトを後付けで増設するスペースがなかった事も、標準的な軽巡と比べ、大きな欠点であった・・・・そして・・・・


 何より致命的だったのは、小型化により機関室のレイアウトの自由度がなくなっていたこと、それと《縦隔壁》の存在にあった




《日本の軍艦は魚雷に弱い》とよく言われる・・・それは何故か?




ひとつは、船体中央部を左右に隔てる《縦隔壁》の存在にあった


 平賀はこれを、軽量化により不足した船体強度を補う目的として、そして防水区画として設けた。そしてボイラー室とタービン室を左右対称に配置する事で、仮に片側の機関室が進水して機関が停止したとしても、もう片側の機関への進水を防ぐ事によって、動力を確保するというものであった

 だが
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