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ドリトル先生とめでたい幽霊
第三幕その六

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「東京で。昭和二十二年一月十日に亡くなって」
「それでだね」
「大阪に帰ってきて」
「それでこちらでもお通夜やお葬式して」
「その後でだね」
「ここで眠っているんだ、毎年命日になるとね」
 その一月十日になるとです。
「供養も行われるよ」
「そうなんだね」
「毎年そうしているんだね」
「今も尚」
「亡くなって七十年以上経っても」
「それでも」
「そうだよ、今も大阪の人に愛されていて」
 そしてというのです。
「日本の近現代の文学でもね」
「名が残っていて」
「それでだね」
「今もだね」
「命日には供養されているんだね」
「そうなんだ、僕も好きだからね」
 温かい目での言葉でした。
「今も大阪の人に愛されていることはね」
「嬉しいんだね」
「先生にしても」
「織田作之助さんがそうなっていることに」
「とても」
「そうなんだ、そうした作風だしね」
 作品もというのです。
「これからもね」
「読まれていってだね」
「そしてだね」
「そのうえでだね」
「愛されていって欲しいよ」
 こう言うのでした、そしてです。
 先生は皆とお寺が立ち並ぶ中を歩いて帰路につきました、そこでふと動物の皆がこんなことを言いました。
「あれっ、何かね」
「さっき擦れ違った人だけれど」
「面長で目が小さくて」
「織田作之助さんの銅像みたいだね」
「そっくりだったわ」
 ハイハイタウン、上本町にある沢山のお店がある建物の中で言いました。ここで今から串カツを食べるつもりなのです。
「不思議とね」
「何でかしら」
「そんな人だったけれど」
「そうだったんだ、気付かなかったよ」
 先生は皆の言葉に応えました。
「とてもね」
「ああ、先生はそうなんだ」
「けれど本当にそっくりだったわ」
「さっき擦れ違った人はね」
「織田作之助さんにね」
「まあそっくりな人もいるね」
 先生はこう言って頷きました。
「世の中にはね」
「そうだよね」
「そっくりな人三人いるっていうし」
「だったらね」
「今もそっくりな人いるね」
「そうだと思うよ、そういえばね」
 ここで、でした。
 先生はふとです、こうも言いました。
「織田作之助さんには通称があったよ」
「仇名あるんだ」
「そうなんだ」
「それで今もそう呼ばれてるのかな」
「うん、織田作っていうんだ」
 それがこの人の仇名だというのです。
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