第七話 テストの結果はその八
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「鶴岡さんに堂々と言ったそうよ」
「それで南海に入ったのね」
「そうよ」
「というか鶴岡さんって滅茶苦茶怖そうね」
留奈はここまで聞いてこう言った。
「選手獲得にヤクザ屋さん使ってたのよね」
「何かとね」
「じゃあヤクザの親分さんともよね」
「お付き合いあったでしょうね」
一華は留奈にも答えた。
「やっぱり」
「だったらね」
「怖かったでしょうね」
「そうよね」
「あの人戦争も生き抜いたし」
丁度その年代であった、陸軍の機関銃部隊の中隊長であったという。
「三原さんや水原さんもね」
「当時の大監督ね」
「そんな人達だから」
「怖かったのね」
「人間としての迫力がね」
それがというのだ。
「凄かったと思うわ」
「それで怖かったのね」
「私達もそうだけれどもう殆どの人が戦争知らないでしょ」
一華は今の日本の話もした。
「戦後生まれだし」
「私達なんて平成生まれだしね」
富美子が言って来た。
「少なくとも日本じゃね」
「戦争ないから」
「災害は嫌になる位あるけれどね」
「神戸だって地震あったしね」
一華は自分達が通っている学校のある場所の話もした、実際に今一華達はその学校にいて話をしている。
「台風に火事に雷にね」
「津波もあるからね」
「日本にいたらね」
それこそというのだ。
「災害はね」
「避けられないわね」
「ええ、けれどね」
「戦争はないから」
「そのことはね」
「事実よね」
「その私達と比べて」
どうしてもというのだ。
「鶴岡さん達はね」
「戦争も生き抜いて」
「戦場に出てね」
実際にというのだ、尚三原修はミャンマーで水原茂はシベリアでそれぞれ地獄を生き抜きそのうえで戻ってきている。
「それでそうした時代のチームの監督さんで」
「選手の獲得もしていたから」
「ヤクザ屋さんを使っていたから」
「ヤクザ屋さんの親分さんよりも」
「怖かったことはね」
このことはというのだ。
「もうね」
「言うまでもなかったのね」
「そうみたいよ」
「そうなのね」
「鶴岡さんってあれよね」
かな恵はこの大監督について話した。
「勝利数歴代一位よね」
「日本の監督さんの中でね」
「そうよね」
「もう大監督と言っていい人よ」
「球界でも凄い発言力あって」
「関西球界のドンって言われてたのよ」
「そこまでの人だったのよね」
一華の話を聞きつつ述べた。
「あの人って」
「若しプロ野球の監督さんじゃなかったら」
どうだったかもだ、一華はかな恵に話した。
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