第四話 テスト勉強その七
[8]前話 [2]次話
「よくな」
「休むことね」
「そうしたら長生き出来てな」
「その分楽しめるのね」
「それに長生きするとそれだけな」
一華に真顔で話した。
「悲しむ人が少ない」
「先に死なれて?」
「そうだ、若くして死ぬと遺族や友達がそれだけ多く残っているんだ」
「大勢の人を悲しませるのね」
「そうなるからな」
それ故にというのだ。
「早死になんかしないに過ぎる」
「長生きするに越したことはないのね」
「そうだ」
「そうなのね」
「若くして死なれると」
父は悲しい顔になって述べた。
「残された人がどれだけ残念か」
「お父さんもそうした経験あるの」
「誰だってあるだろ」
これが父の返事だった。
「そうしたことは」
「そうなの」
「生きているとな」
「先に亡くなる人もいるのね」
「親戚でも友達でもな」
「そうなのね」
「事故で亡くなったりな、病気になったり」
それぞれの事情でというのだ。
「若くしてなんだ」
「五十にもいかなくて」
「人間五十年といっても」
敦盛の言葉である、織田信長がこの言葉が好きで舞も舞っていたことは歴史であまりにも有名なことである。
「五十年生きられない人もな」
「いるのね」
「昔は特にだ」
「昔っていうと」
「医学が発展する前はな」
その時はというのだ。
「もうな」
「今よりだったの」
「若くしてな」
「亡くなる人も多かったのね」
「結核もあったしな」
「あの血を吐く病気ね」
「あれで亡くなった人も多いし」
父はさらに話した。
「子供だってな」
「昔はよく死んだの」
「七つになるまでにな」
「七五三よね、七歳だと」
「だから七五三もあるんだ」
この祝いの行事もというのだ。
「その歳まで無事に育ったことを祝う為に」
「そうだったの」
「そうだ、昔は本当に子供はな」
「すぐに亡くなったの」
「十五になるまで育てば」
そうなればというのだ。
「本当によかったんだ」
「十五までって」
「急に亡くなったものだ」
昔はというのだ。
「太宰治の兄弟もそうだったんだぞ」
「あの走れメロスの人ね」
「あの人の兄弟もな」
「亡くなってる人多いの」
「誰だってそうだったんだ」
昔はというのだ。
「十人いても五人位になることもな」
「半分じゃない」
「普通だったんだ」
「そうだったのね」
「太宰も結核だったしな」
「あの人自殺してるわね」
「心中したがな」
玉川上水に入ってだ、昭和二十四年六月十三日のことだ。
[8]前話 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ