第三十話 ゴールデンウィークが終わってその四
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「子供の頃はね」
「そうだったんですね」
「中学の時は読まなくなったけれど」
「それでコロコロのギャグ漫画も」
「小山さんは読めるんだ」
「ああした下品ギャグも」
「あれもね」
そうしたギャグ漫画もというのだ。
「読むとね」
「いいんですね」
「何かしらのものが得られるよ」
「そうなんですね」
「ギャグ漫画も。どんな漫画もそしてライトノベルもゲームも」
創作はというのだ。
「読んだりやっていくとね」
「いいんですか」
「うん、そうしたらね」
それならというのだ。
「得られるものがあるよ」
「何でもなんですね」
「うん、逆にね」
「逆に?」
「変な哲学書読んでも」
そうしてもというのだ。
「何もね」
「得られるものはないですか」
「変な造語やら何言ってるかわからない文章ばかりで」
それでというのだ。
「読んでもね」
「何もないですか」
「うん、何言ってるかわからない文章なんて」
「読んでもですか」
「意味ないよ」
「実は凄いことが書かれているとか」
「ないよ」
部長の返事は即答だった。
「そんなことはね」
「そうですか?難しい文章って」
「いや、真理は単純明快だから」
「そうですか」
「古典とか漢文とか。現国でもそうだけれど」
部長は授業からも話した、学生なので授業から離れることはない。これは咲も部長も同じことだった。
「わかりやすいよ」
「そういえばそうですね」
咲も国語系の授業を言われると頷けた、彼女が国語が得意なこともあって。
「芥川や太宰もわかりやすいですね」
「文章も読みやすいね」
「はい、かなり」
「夏目漱石もね、わかりやすい文体で使っている単語もね」
これもというのだ。
「わかりやすいんだ、けれど変な哲学書は」
「わかりにくいんですか」
「酷いと何言ってるかわからないから」
代表が吉本隆明だと言われている、そのわからなさで教祖になれたという。
「三島由紀夫は奇麗だけれどね」
「あの人の文章はですか」
「うん、漢字の使い方が奇麗で」
それでというのだ。
「いいんだ、あの人の文章も読みやすいよ」
「奇麗で、ですか」
「わかりやすいしね、けれど」
それでもというのだ。
「本当に変な哲学書はね」
「わかりにくいですか」
「読んでもね、そして読んでもわからないなら」
「読まなくていいですか」
「中にはある程度の知識や教養があって読めるものがあるよ」
経済の本にしろそうだ、そして小林秀雄は読むにはそれ相応の教養が必要とされるがそのレベルの教養を備えると読めるのだ。
「けれどね」
「訳のわからない文章はですか」
「あってね」
それでというのだ。
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