猫眼石 vol.3
(補足考察)日本とアメリカの国体の違い
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これは考えるまでもなく、国際関係上に最も信頼できるのはアメリカ、近くのエリアならばオーストラリアではないかと思われる(台湾は姉妹国なので別枠)。東南アジア、インド・太平洋の経済圏・共栄圏を保守発展していく上で他に考えようがないし、国や国民の価値観として中国・ロシアよりも近いので、信頼・対話や連携しやすい。
それでは、日本とアメリカ(オーストラリア)は全く同じかと言えばそうではなく、やはり国体や民族性格で差異がある。つまり「アメリカがそうしたから同じにする」と考えるのは微妙に違い、差異を踏まえた上で連携することが重要である。スポーツの同じチームでも、ピッチャーとキャッチャーはやるべきことが違うし、サッカーでもフォワード・ミッドフィルダーとゴールキーパーは「別の動きで連携」しなければいけないのは自明である。
日本の場合には同じ「民主主義」ではあっても、聖徳太子以来に立憲君主制であり、さらには摂関政治や親政(建武・明治)から、幕府体制や現代民主主義のようにバランスに振幅(適宜の調整)があることが特徴である。だいたいにして言えば天皇・朝廷は直接に統治実務をするよりも、国民主体の政権の後見人・監督役である場合が多かった(現在の日本国憲法が通用したのは、不備はあれども国体に合っていたからだと思われる)。
その特徴的な伝統と国体はイギリスの王室(君臨すれど統治せず)に似ており、君主側が賢明なだけでなく、国民側が弁えていないと十分に機能しないシステムなのである。
たとえば日本の歴史では有力者が将軍になって幕府体制で統治していたが、誰も天皇や朝廷を倒して完全独裁をやることはなかった。むしろ自分自身の統治権力の道義的な根源だと理解して、天皇と朝廷が伝統的に提示している倫理観(十七条憲法などが代表?)を敬い、権威として自発的に服従していた。彼らは同じ日本人であり、格下の大名や士農工商の平民とも天皇(八百万の神の代理人)の前に本質的に平等な皇民同胞であった(相互の誠実義務や精神的な紐帯があって、価値観や倫理観を共有している)。
そうであるから日本の場合には、むやみに過剰な移民を入れても「不足した日本人の人員の代用」にはならない。移民はたとえ本人が「個人としては善人の部類」であったとしても、所属やバックグラウンドが違うし「外国人」であって、日本人と同じ倫理観や忠誠心をそのまま期待出来るわけでもない。アメリカやオーストラリアのような漸次の移民によって出来た国であってさえも、新来・大量の移民は問題を起こしているのだから日本ではなおさらである。
とはいえ、人情として長年月を日本で滞在・労働してくれた外国人(特に途上国出身者・日本育ちの二世なども)は、日本人の友人であり協力者でもある。物価や通貨価値が違うのを「位置エネルギー」として相互活用するのは良いが
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