第三百三十話 年越し蕎麦その九
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「きつねうどんで」
「たぬきそばです」
「それでそのたぬきそばもですね」
「召し上がられることが出来ます」
「そうですね、僕どっちも好きです」
お隣にいる畑中さんに笑顔で応えた。
「きつねうどんもたぬきそばも」
「どちらもですね」
「揚げ自体が好きですから」
「揚げが合いますね」
「おうどんにもお蕎麦にも」
本当にどちらにもだ。
「合いますから」
「だからですね」
「ですから」
それでだ。
「楽しみです」
「よくお蕎麦は東京といいますが」
畑中さんは僕にこうもお話してくれた。
「私は東京のお蕎麦は」
「あまり、ですか」
「好きになれません」
どうしてもだというお返事だった。
「おつゆが」
「それですね」
「辛いので」
「もう墨汁みたいですね」
「ですからざるそばでもです」
このことはせいろでも同じだ。
「辛いですか」
「お蕎麦をおつゆにあまり漬けないで」
「そうです、そしてです」
「噛まないで喉ごしを楽しみますね」
「あの食べ方になっています」
「そうでしたね」
「あの食べ方にも理由があります」
何の根拠もなしに食べ方も出来ないということか、東京昔で言う江戸のあの独特のお蕎麦の食べ方はだ。
「そうしたおつゆなので」
「お醤油とおろし大根のお汁でしたね」
「やはり辛いですね」
「それもかなり」
「関西は昆布を使います」
おつゆのだしにだ。
「それで味がまろやかです」
「そうですね」
「はい、ですが東京のものは」
「そうしたおつゆなので」
「どうしても辛くなります」
関東と関西ではお醤油も違う、関西の、ものは何といっても薄口醤油だ。普通のお醤油でも関東のものより味がまろやかだ。
「そうなりますので」
「味がまろやかで」
「お蕎麦をじっくり漬けて食べても辛くなく」
「噛んでもですね」
「いいのです」
「それで食べ方も違いますね」
「そうです、ですが私は関西で生まれ育ち」
そうしてというのだ。
「ずっと住んできたので」
「お蕎麦も関西ですね」
「温かいものもざるのものも」
どちらでもというのだ。
「関西のものです」
「あの墨汁みたいなお汁もですね」
「合わず」
そしてというのだ。
「ざるやせいろは特に」
「やはりそうですね」
「小野さんは関西です」
「ですね、そういえば自転車部に幸田さんって人がおられて」
部長さんだ、副部長の難波さんと並んで自転車部のツートップらしい。
「その人は代々東京で」
「江戸っ子の方ですね」
「葛飾でその人と幼馴染みで同級生に永井さんって人もいますが」
「その方も江戸っ子ですね」
「お二人はお蕎麦は」
江戸っ子にしてみればだ。
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