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或る皇国将校の回想録
第六部 将家・領民・国民
第八十二話 指し手はもう一人
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いないのです。貴方の本質を何重にもある建前が覆い隠している、貴方自身からでさえ」


「………」
 豊久は茜から目をそらし、無言で瞼を揉む。茜の言葉に返すことができなかったのだ。

「自分でも見失っている、いえ、考えたことがなかったのかしら――貴方は良き者であろうと努力してきました、常に御家と国のことを第一に振舞ってきました(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
えぇ、えぇ、貴方の自制心は称えられるべきでした(・・)

「でした、でした、か――ははははは、酷いなぁ」
 笑い声はわずかに上ずっている。

「貴方は分かっている筈です――怖いのですか?」

 突然、長椅子を豊久は殴りつけた。
「怖い、怖いさ!貴女にはわからないんだ!俺は軍人でなければならない!効率的な殺人で得る利益を俺が!個人のものにするだと!?その責任を負わなければならない事がどんなに!!」
 臓躁的(ヒステリック)に豊久は怒鳴り散らす。明らかに度を失っているが茜は動じる様子もなく切り返した。

「なぜ責任を貴方が一人で負うのです」

「何故って……」
 豊久は何かを言おうとするが茜はただ目だけでそれを制することができる女であった。
「貴方がどんなに聡明で、どれほど人を殺す手段を思いつこうとも、貴方一人で為すものではないでしょう。それなのに疾うに貴方個人のものであると周囲は帰していた、だから貴方は政治の舞台に立ち続けている――貴方の現状認識はもはや遅れているのですよ」

「だ、だとしても、それは間違ってい――」
 怯えた迷子のように豊久は茜を見上げる。

「貴方はもはやただの重臣ではない。馬堂の嫡男であり当主ではない、だから気楽だ、などというほど貴方は莫迦ではありません。馬堂豊久の名(・・・・・・)は重さをもっている。貴方は既に個人として立っている。六芒郭で泣き言をいうはるかに前から、北領から戻ってきた時にはそうだった。そして既に貴方は自分の意志で歩いていた。”あの日”はただ御自身の歩いた距離を振り返って怯えただけです」

 口を開こうとした豊久の唇に茜は指をのせる。
「いいえ、いいえ、貴方に”自分はそのような存在ではない”などと戯言は言わせません、貴方は誰よりも理解している、”政治という営みは三人寄れば稚拙であろうと始まる、政治から逃げる行動即ち是も政治的試みなり、万民この遊戯から逃れること能わず”と」

 茜と豊久の視線が交わる。馬堂豊久は茜の瞳をじっとみつめ、口を開く。

「‥‥‥茜さん、弓月茜、もう一度、先程の問いを」

 秘蹟を授ける神官のような深みのある声で茜は問いかける。
「馬堂豊久、貴方は何者ですか。貴方が信じてきた”社会”はこの戦争で失われ、新たな形へ変化しつつある。だからこそ、私は貴
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