第三百二十四話 総帥さんその五
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「謙虚だよね」
「そうよね」
「努力すればする程人間が磨かれて」
その性格がだ。
「謙虚さもね」
「備えていくのかしら」
「そうかもね」
僕が思うにだ。
「やっぱりね」
「そう思うとつくづく人は努力あってね」
「モーツァルトだって努力していたよ」
天才と言われたこの人もだ。
「いつもピアノに向かっていたから」
「音楽漬けの人生だったのよね」
「あの人もね」
楽譜が見えていたというけれどそれだけ音楽に親しんでいたいつも音楽に接していたということに他ならない。
「もう音楽が人生っていう位だったから」
「努力していたのね」
「というか人生だったから」
モーツァルトにとって音楽はそうだった。
「もう努力を努力と思わない」
「そうした人だったのね」
「それがモーツァルトで」
それでだ。
「この人もね」
「努力していたのね」
「性格はかなり変わっていたそうだけれど」
性格破綻者だったという説もある。
「努力はしていたよ、それに変わっていても純粋で優しさも持っていたそうだしね」
「博愛主義だったのよね」
「音楽聴いたらそうだね」
その歌劇で端役なしとまで言われている、モーツァルトの天才は全ての登場人物に素晴らしい音楽を与えているのだ。
「確かに」
「そうよね」
「問題は多くても」
このことは事実でもだ。
「それでもね」
「博愛主義で」
「善人だったよ」
そう言っていい人だったことは間違いない。
「その音楽から想像出来るみたいにね」
「モーツァルトの音楽はね」
「実際に善人だって思えるよね」
「明るくて軽やかな曲が多くて」
「それで誰もが好きでね」
「博愛主義ね」
「それを表現している様な」
そうしただ。
「音楽だよね」
「そしてその音楽は」
「努力して」
例えモーツァルトがそう思っていなくてもだ。
「生み出されたものだよ」
「天才と言われていても」
「努力していたんだ」
「そういうことね」
「まあ努力を否定したら」
もうそれこそだ。
「何にもならないよ、よく結果が全てでね」
「努力見ない人いるわね」
「そんな人大した人にならないから」
結果が全てとか言って他の人の努力を見ない人はだ。結果は確かに大事でもそれが全てでないことは事実だ。
「努力の大切さをわからない人は自分もね」
「努力してないわね」
「それで結果だけ見てるから」
それでだ。
「そんな人が立派になるか」
「言うまでもないわね」
「努力しないから」
結果しか見ていなくてだ。
「そんな人その時はよくてもね」
「結果もよね」
「そのうち出せなくなって」
そうしてだ。
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