第三百二十四話 総帥さんその四
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「肩の力、背筋にね」
「足腰もよね」
「うん、相当なものがないとね」
その全てがだ。
「出来るものじゃないから」
「しかもスクワットもされるのよね」
「素振りと同じだけね」
やはり千回二千回とだ。
「レスラーの人は五千回らしいけれど」
「あの人達はまた置いておいて」
「やっぱり桁が違うし。けれど九十代で、だから」
兎に角このことが大きい。
「畑中さんは凄いよ」
「普通もうお散歩だけでもよね」
「それなり以上の運動だよ」
それだけのお歳だ。
「けれど毎日されていてちゃんとアフターケアもされているから」
「お風呂に入られてね」
「だからね」
「ああして出来るのね」
「そうだよ、それで今もね」
お餅つきにしてもだ。
「ああしてだよ」
「凄いのね」
「うん、伊達に免許皆伝じゃないよ」
その直新陰流のことだ。
「本当にね」
「仙人みたいな方ね」
「そうかもね、お歳を考えたら」
「執事さんのお仕事もされているし」
「考えれば考える程凄い人だよ」
畑中さんという人はだ。
「人間何もしていないと五十代でぼけたりするしね」
「五十代で?」
「まだ若いけれど」
人間五十年と言われた時代じゃない、百歳ももう視野に入ろうとしている時代だ。それで五十代なんてまだまだ若い。
けれどそれでもなのだ。
「何もしていない、もう働かないで甘やかされて育って偉そうに言うだけで恩義も感謝も感じないで不平不満ばかりだとね」
「つまり生きていて何も努力していないと」
「その酷いところがもっと酷くなってね」
これまで何度か、香織さんにも話したその人のことだ。
「五十代でね」
「ぼけるのね」
「これまでそこまで酷くなかったのが」
元々酷かったにしてもだ。
「それがね」
「五十代になって酷くなったのね」
「もう誰もが匙を投げる位ね」
「畑中さんと全く違うわね」
「畑中さんは幾つになられてもだよ」
あの方の場合はだ、今も若い人顔負けの動きで餅をつかれている。よく見なくても体力自体も相当なものだ。
「凄いけれど」
「そうした人は」
「もう五十代でだよ」
九十代どころかだ。
「もうね」
「ぼけてきて」
「どうしようもなくなるよ」
「努力って大切ね」
「何故か努力しない人程訳のわからないものにすがって」
今話している人にしてもだ。
「ふんぞり返って自分がこの世で一番偉いだから」
「何処が偉いのかね」
「全くわからないけれど」
それでもだ、その人なんて何の取り柄もない。人を助けようとか誰かの役に立とうという気すらない。
「そうしているよ」
「逆に畑中さんみたいな方は」
「凄く努力されていてね」
そうなのにだ。
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