這いずる女 後編
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ると、おばあちゃんは目をゆっくりと開き、難儀そうに首を傾け僕たちを見た。呆然とした表情は、僕たちを見ても変わらないままだった。開いていたカーテンを職員が閉めると、室内は一層どんよりとしたように感ぜられた。
「おばあちゃん、娘さんとお孫さんが会いに来てくれたよ。おばあちゃん」
職員は耳元で大きな声で話しかける。同じ言葉を二度繰り返すが反応が無い。言い訳するかのように、良い時はうなずいたり、笑ったりしてくれるんですよと言った。
「結構ですよ。ほら、あんたが逢いたいって言ってたんだから、就職の話とかしてみたら? 私カーディガンの申請届書いてくるから」
「あれ、それってSさんにあげたんじゃないの」
Sさんと母は顔を見合わせると、吹き出すように笑った。僕は急に恥ずかしくなった。いつもだったらこれくらい察せるのに、老人ホームという場所が悪いんだ。
去っていこうとする母を引き留める。なんなの? と言う母は呆れを隠さない。
「すぐ済むからちょっと待っててよ」
「何で?」
「何でって。ちょっと、気味が悪いというか」
「あんたのおばあちゃんでしょ?」
だから怖いんだ! でも、昨日の夜に僕の寝室を生霊が這いずり回った、なんて言えないし、結局僕とおばあちゃんは二人きりになってしまった。僕はおばあちゃんのベッドから、一メートルほど離れた場所に座って、ドアが開いていることを確認してからしゃべった。
返事の望めない老人と会話をすることは難しい。会話と言うよりは、独白の様になってしまう。
東京の大学はあまり楽しくないこと。就職活動もうまく行っていないこと。
友達と言う友達はいなくって、今も人と一緒にご飯を食べるのが苦手なこと。
喋れば喋るほど、僕はどんよりとした気持ちになってきた。気分が落ち込んでくると、おばあちゃんがそんなに怖く感ぜられないのが不思議だった。
おばあちゃんは相変わらず呆けた表情で僕のことを見ている。枯れた井戸でも見るみたいに。でも、僕の勘違いかもしれないけれど、少しだけ笑っているように見える。Sさんも言っていた、調子の良い時は笑う事もあると。あれ? 僕はおばあちゃんが笑っているのを見たことがあるのか?
申請書を書き終えた母が部屋に戻ってくる。
だいぶ薄くなった頭髪を優しくなで整えて、来年は米寿か〜と呟いた。
「米寿にはみんなで写真、撮りたいね」
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