第八幕その三
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「どう考えてもないから」
「何か忍術と妖術がごっちゃになっていて」
「変なことになってるね」
オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「漫画とかゲームとか小説だと」
「どうにもね」
「壁を歩くとかムササビの術もないね」
老馬は忍術のそうしたこともお話しました。
「流石に」
「壁をよじ登ったりはしたし壁と同じ模様の布を出して隠れたことはしても」
それでもというのです。
「流石にね」
「壁を歩くとかね」
「ムササビもだね」
「なかったわね」
「流石に」
「ムササビの術は出来ても現実に空を飛ぶなんて機会もね」
その機会がというのです。
「そうそうないしね、大凧に乗るのも」
「やっぱりないよね」
「あくまで漫画のことで」
「そもそも凧に乗ってる時にロープ切られたら終わりだし」
「リスク多いね」
「ムササビの術だって布に穴があったり縛っている部分が外れたら」
「あと突風で流れたりしたら」
皆で想像して言います。
「危ないよ」
「そう考えたらね」
「忍術も現実にどうか」
「そこから考えるとね」
「漫画みたいなことはないよ」
日本のというのです。
「魔法使いみたいなことはね」
「やっぱり現実はそうだね」
「忍者は実際にいたし」
「現実の動きをしていて」
「忍術もそうだったのね」
「無敵の存在でもなかったしね」
そうした作品世界ではそこまで強くてもというのです。
「むしろ隠れる、逃げる存在で」
「戦うとなると」
「それは二の次で」
「まずは隠れる」
「そして逃げていたのね」
「それが忍者だったんだ、ただ織田作之助さんは」
先生はここで日本の昭和の頃に活躍したその作家さんの名前も出しました。
「そうした作品も書いているよ」
「ああ、あの夫婦善哉の」
「大阪を舞台にした作品を書いている人ね」
「あの人も忍者の作品書いていたんだ」
「そうだったのね」
「猿飛佐助では空を飛んでいてね」
この作品ではそうなっていてというのです。
「ニコ狆先生では煙、煙草のそれで姿を消すんだ」
「そのまま創作の忍者だね」
「純文学でもそうだったの」
「昔は」
「ああ、純文学といっても小説だから」
それでというのです。
「そんな堅苦しくはね」
「考える必要ないんだ」
「楽しんで読めばいいのね」
「そうなんだね」
「そうだよ、面白かったりためになったりすれば」
それでというのです。
「いいからね」
「小説は」
「それでなんだ」
「織田作之助さんの作品も」
「堅苦しくならなくていいんだ」
「むしろこの人の作品は娯楽に徹した作品もあって」
それでというのです。
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