172章 信也が作た歌「15 の心のままに Part 2 」
[2/3]
[8]前話 [1]次 [9]前 最後 最初 [2]次話
考えている時に、より活発に活動しているものなのですが、
この「ディフォルト・ネットワーク」だけは特殊で、何か特定のことに
目的を定めて考えている時には活動が低下しており、反対に、
何も考えていない時に活性化している。いわば脳がアイドリングしている時に、
1番活発に働いていることが分かっています。
恋愛の、それも特に準備段階においては、この「ディフォルト・ネットワーク」が
もっとも大切になってくると考えられています。
僕が、まだ小学4年生くらいの頃のことです。公園で遊んでいると、
ひとり ベンチに 座りボーっとしたまま、何をするでもなく
遠くを見つめている中学生のお兄さんがいました。
僕が「何を考えいているんですか」と聞いたら、
「いやあ、君くらいの歳ではまだ分からないかもしれないけど、
僕くらいになると、いろいろ考えることがたくさんあるんだよ」と言われました。
それがいまだに強く印象に残っているのですが、今から考えてみると、
その時の彼こそが「ディフォルト・ネットワーク」を活動させている
最中だったのだと思います。
「ディフォルト・ネットワーク」が 働いている状態に関しては、近いものとして
「白昼夢」が挙げられます。夜、睡眠の中で見る「夢」でもなく、
将来を夢見るという意味での「夢」でもない。うららかな午後の陽ざしの中、
何をするでもなく、たゆたう連想に身を任せながら見る、
夢と現との間にある「白昼夢」。
明確な意識で物事を考えているわけではないけれど、まったく思考を停止させている
わけでもない。次から次へと頭に浮かぶ 想念の波に 揺られつつ、
自由に想像の羽をはばたかせている、それが「ディフォルト・ネットワーク」を
働かせている状態であり、人間の「創造性」とも深くかかわりがあるといわれています。
この「ディフォルト・ネットワーク」の活動は、おもに思春期に活発化します。
十代半ばから二十代にかけては、思春期らしい悩みや将来への想いなど、
原因は定かでなくとも、メランコリックな思索にふけることがしばしばあります。
つまり、先ほどの中学生のお兄さんくらいの歳の思春期から青年期が、その時期といえるでしょう。
夏目漱石の『三四郎』には、「ロマンティック・アイロニー」という言葉が出てきます。
主人公の三四郎が、ひとりで道を歩いていると、友人の与次郎に出くわします。
彼は三四郎の表情を見るなり笑だし、
「もう少し 普通の人間らしく 歩くがいい、
まるで浪漫的(ロマンティック・)アイロニー だ」と表現します。
しかし、三四郎は その「ロマンティック・アイロニー」の意味が分からない。
しかたがな
[8]前話 [1]次 [9]前 最後 最初 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ