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ドリトル先生と牛女
第一幕その五

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「本当にね」
「そうだね」
「動物が妖怪になって」
「ものもそうなる」
「妖怪と生きものの区分があまりない」
「そうした国でもあるね」
「人間も妖怪になるしね」
 その場合もあるというのです。
「日本では」
「何かそうしたお話もあるよね」
「幽霊のお話も多いけれど」
「人間も妖怪になるね」
「そうしたお国柄だね」
「生きものにもなるしものにもなるし」 
 人間がというのです。
「そこはね」
「それぞれだね」
「そうだね」
「誰でも妖怪になって生きものにもものにもなる」
「人間にもね」
「生まれ変われば」
 先生はこのお話もしました。
「それこそだね」
「もうそれ入れたらね」
「仏教の考えも」
「それこそ幾らでもあるね」
「日本にはね」
「漫画だけれど」
 創作の世界でと前置きして言います。
「戦国大名が犬に生まれ変わるものもあるよ」
「戦国大名が犬って」
「その発想は凄いけれど」
「考えてみたら日本ならではね」
「その考えも」
「そうだね、日本は生まれ変わりの考えもあって」
 そうしてというのです。
「あらゆるものがね」
「歳を取ったりするとだね」
「色々なものになるんだね」
「人間も生きものもものも」
「人形が人間になる場合もあれば」
 その場合もあればというのです。
「つららが妖怪になる場合もあるよ」
「ああ、つらら女」
「日本の妖怪だよね」
「雪女みたいな妖怪だったね」
「そうした妖怪もいるね、日本は」
「本当にあらゆるものが色々なものになる国で」
 そしてというのです。
「妖怪もだよ」
「そうなるんだね」
「生きものがなったりする」
「ものもそうで」
「人間もだね」
「うん、そして牛女は」
 この妖怪のお話に戻りました。
「どうもね」
「件と一緒だね」
「予言する妖怪で」
「牛から生まれた」
「そうした妖怪なんだ」
「そうみたいだよ、そして今は神戸にいて」
 そしてというのです。
「六甲の方にね」
「いてだね」
「そこに行けば会えるかも知れない」
「そういうことだね」
「見た人もいるよ」
 六甲でというのです。
「どうやらね」
「そうなんだね」
「戦争ってもう二十世紀の半ばのことで」
「かなり昔のことよね」
「今となっては」
「七十年以上昔だよ」
「妖怪の寿命は僕達と違うからね」
 先生はこのことは普通に言いました。
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