第四章
[8]前話
「そこでじゃ」
「公方様をお招きして」
「御成をして頂こう」
将軍が家臣の館に出向き祝宴を行うものだ、幕府の重要な政の儀礼であった。
「ここはな」
「そして、ですな」
「その場でな」
「わかりました」
教康は父の決断に真剣な顔で頷いて応えた。
「公方様を討てば、ですが」
「討たれるのならな」
「それならばですな」
「先に討つのが武士であろう」
「そしてそのうえで、ですな」
「そうしようぞ」
こう話してだった、赤松家は先に義教が鎌倉公方の一族を滅ぼした結城合戦を終えた慰労と鴨の子が多く出来たことを祝うと言って義教の御成を願い出た、すると。
朝廷のある陰陽師が朝廷の高位の者達にそっと囁いた。
「昨夜の星の動きですが」
「何があったのか」
「どういったものであった」
「はい、これまで空にあった大きな凶星が落ちました」
そうなったというのだ。
「天の中心にあった」
「天のか」
「となると」
「はい、その凶星こそ室町様の星でしたが」
義教の星であったがというのだ。
「それがです」
「その星が落ちたとなると」
「室町殿がか」
「そうなるかと」
「左様か、これも天命か」
「あの御仁のこれまでのことを考えるとな」
「残暴の限りを尽くされたのです」
義教、彼はというのだ。
「ですから」
「そうであるな、ではな」
「その後のことを考えようぞ」
朝廷では秘かにそうした話が為された、そして。
義教は赤松家の館で討たれた、将軍でありながら首を取られるというあまりにも無残な結末であった。
その結末を知って天下の誰もが思った。
「当然じゃ」
「あそこまで暴虐を為されればな」
「ああなるのも当然じゃ」
「むしろこうなるまで遅かった」
「これまでどれだけの者が公方様の勘気を被ったか」
「それも思うと遅かった」
「もっと早くこうなるべきであったわ」
その死を悲しむ者はおらず心から喜ぶ者ばかりであった。
それはその当時だけでなく後の世でも同じであり。
織田信長も義教については暴虐の公方と言った、足利義教をよく言う者は今も非常に稀だ。それが彼の行いからであることは言うまでもない。暴君即ち大悪将軍として名が残るばかりである。
大悪将軍 完
2020・3・17
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