第五章
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「それからだ」
「また歌われますね」
「録音もするし当然だ」
「舞台もですね」
「そちらもだ」
つまり歌自体をというのだ。
「やっていく」
「そうされますね」
「だからだ」
「今は、ですか」
「舞台に立つ体力もなくなったが」
それでもというのだ。
「癌を治す様にしていこう」
「そうですか、では」
「これからも宜しく頼む」
「わかりました」
医師も頷いて応えた、そうしてだった。
バスティアニーニは秘かに闘病生活に入った、表舞台に出なくなった彼について様々な憶測が流れたが今の彼はそれは聞かなかった。
そしてだ、医師に病床で言った。
「治った時に」
「その時にですね」
「言うよ、私の口から」
「そうされますね」
「だから今は」
「治療にですね」
「全力を尽くす、私は歌に全力を尽くしてきたし」
それでというのだ。
「癌に対してもだ」
「全力を尽くしますね」
「そうしていく」
こう言って今は憶測の類を聞かず治療に専念した、だが。
遂にベッドから起き上がれなくなった、そうしてガルダ湖畔シルミオーネのアパートの一室で医師に対して言った。
「私のことは人に話していい」
「マエストロが癌だったことは」
「もう終わるからな」
「だからですか」
「結局私は勝てなかった」
癌にとだ、バスティアニーニは寂しく笑って言った。
「しかし悔いはない、最後まで戦ったからな」
「だからですか」
「満足している、そして貴方に一言言いたい」
ベッドの中で医師に顔を向けて言った。
「いいだろうか」
「何でしょうか」
「有り難う」
これが医師に言った言葉だった。
「これまで診て傍にいてくれて」
「そう言ってくれますか」
「最後にな、これまで診てくれて有り難う」
こう言ってだった、そのうえで。
バスティアニーニは静かに息を引き取った、そうして医師は彼が癌であり最後の最後まで癌と戦っていたことを公表した。
一九五〇年代のイタリア歌劇黄金時代を築いた歌手の一人としてエーリオット=バスティアニーニは知られている、その彼が僅か四十四歳でこの世を去ったことは今も残念に思われている。その死因が癌であることは今は知られているがそれでも当時はバスティアニーニ自身と彼を診ていた医師だけが知っていた。彼はあくまで歌い続けることを目指し病名を隠したうえで癌と戦い続けた。何故隠したのかは騒がれることが嫌だったのか公表すること自体を恐れたのかそれとも言うことではないと思ったのかはわからない。だが彼は短い一生の中で多くの名唱を残しそして多くの人がその歌に心から魅せられたことは事実だ。そのうえで歌劇の歴史にその名を永遠に残している。より多くの素晴らしい歌を聴きたかった、そう思う人は今も多い。癌という病気
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