第二百八十一話 三人になってその十
[8]前話 [2]次話
「韓国だとソウルだけで五万はあるっていうけれど」
「教会がね」
「あそこはそれだけにクリスマスでもね」
「教会に行く人多いでしょうね」
「うちのクラスの朴さんは仏教徒らしいけれど」
あちらは仏教徒も多いらしくて大体キリスト教徒と同じ位らしい。
「それでもソウル生まれだから」
「ソウルの教会のことも知ってるのね」
「そう、もう何処にもあって」
そのキリスト教の教会がだ。
「その数たるや五万」
「それだけあるっていうわね」
「凄いことね」
「そうだね、ただね」
僕はここでふとこう思って言った。
「日本もお寺や神社だと」
「五万はあるかしら」
「それ位あるかしら」
「天理教の教会も入れたら」
そしてキリスト教の教会もだ。
「大体ね」
「五万はある」
「そうなのね」
「数えた訳じゃないけれど」
人口一千万、ソウルと同じ位の大都市だからだ。
「もうね」
「それ位のお寺や教会はあって」
「ソウルに負けてかしら」
「宗教施設って考えるとね、ただ本当にキリスト教だけで五万はね」
それだけの数の教会があるとだ。
「確かにね」
「凄いわね」
「実際に」
「うん、素直に凄いね」
僕も聞いて思った。
「本当に」
「そうよね」
「キリスト教だけでそれだけはね」
「ちょっとないわね」
「うん、そのことは素直に思うよ」
僕にしてもだ。
「そうね」
「そうよね」
「うん、ただあっちのクリスマスは」
僕が聞く限りではだ。
「日本の影響が強いのか」
「遊ぶ人が多いのね」
「そうみたいだよ」
教会で静かに過ごすのではなくだ。
「そうみたいだよ」
「まあアメリカとかでもね」
香織さんが言ってきた。
「結局そうみたいね」
「どうやらね」
「最近は中国でも楽しむっていうけれど」
「あっちはクリスマスピザ食べるそうだよ」
友達の中国人の一人王君が言うにはだ。
「どうも」
「そうらしいわね」
香織さんもこのことは知っていた。
「どういう訳か」
「どうしてそうなったかは知らないけれど」
「ピザよね」
「それを食べるんだよね」
「そうよね」
「まあこれはね」
日本でもだ。
「色々あるからね」
「日本独自のクリスマスの風習が」
「あるみたいだし」
日本人が気付かないうちにだ。
「相手いない人は嫉妬するとか」
「それね」
「クルシミマスとか言って」
クリスマスをもじってであることは言うまでもない、けれど中には相手の人がいなくても一人で飲んで食べて楽しむ人はいる。
「バレンタインもそうだけれどね」
「嫉妬する人いるわね」
「バレンタインもね」
二月十四日にしてもだ。
[8]前話 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ