第二百八十一話 三人になってその九
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「何かこうね」
「行く機会がなかったんだ」
「そうなの」
香織さんは僕に軽い調子で話した、そこには嫌悪感も反感も拒絶反応もそうしたものは一切なかった。
「これといって」
「それでだね」
「だってね、教会で何かするって」
「日本だと」
「これってないでしょ」
「うん、そう言われるとね」
クリスマスはあってもだ。
「ないね」
「そうでしょ、だからね」
「行ったことがないんだ」
「勿論教会の中は知ってるわよ」
「十字架のキリストがいてね」
「礼拝堂があるわね」
「それとステンドガラスもね」
実はこのガラスが僕は好きだったりする、あの色合いがだ。
「そうした造りだね」
「正教だとイコンよね」
「あの絵ね」
「大体そんな風よね」
「中の構造は知ってるんだね」
「ドラマとかでも知ってるから」
よく出ていてというのだ。
「それでね」
「教会自体は知ってるんだね」
「内装もね」
「それで外観も」
「それでも入ったことないのよ」
「大浦天主堂とかは」
「あっ、そうしたところは入ったことがあるわ」
観光地かそれに準じる様なところはというのだ。
「普通の教会になのよ」
「行ったことがないんだ」
「そう、この学園にある様な」
「ごく普通の教会にはなんだ」
「入ったことがないの、お寺や神社、天理教の教会はあっても」
それでもというのだ。
「それでもなのよ」
「それも縁だね」
「ちなみにキリスト教は嫌いじゃないわ」
やっぱり嫌悪感とかそういうものはなかった。
「別にね」
「それでもね、キリスト教徒じゃないと:」
「行く機会ないってことね」
「クリスマスでもね」
「日本でクリスマスに教会行く人は少ないでしょ」
詩織さんがこのことを言ってきた。
「どう考えても」
「そうよね」
「そもそも教会はね」
キリスト教のそれはだ、日本では天理教の教会もあるからこの辺り呼名では間違える、だが外観も内装も違う。天理教はまさに純和風だからそれでわかるのだ。
「キリスト教徒の人しか行かないわよね」
「日本は基本そうよね」
香織さんは詩織さんにも応えた。
「やっぱり」
「そうそう、そしてキリスト教徒の人自体がね」
「日本だと本当に少ないから」
「全体の一パーセントらしいから」
およそ百二十万となる、結構な数だけれどパーセントでは確かに少ない。
「それでその中でクリスマスも教会に行く」
「そこまで真面目な信者さんは」
「やっぱりね」
「かなり限られるわね」
「そうなるから」
だからだというのだ。
「どうしてもね」
「教会にはなのね」
「行く人少ないわ」
「そうなるわね」
「まあ日本のお話だけれどね」
このことはというのだ。
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