第二百八十一話 三人になってその五
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「ちょっと以上にね」
「おかしいのね」
「イスラムだったら」
コーランの話を聞くとだ。
「それ位じゃね」
「神様怒らないのね」
「アッラーの神って器大きいから」
だからイスラム教もあそこまでの宗教になったと思う。
「もうそれ位じゃね」
「怒らないのね」
「登場人物後で反省するし」
コーランの物語はよくそうなる。
「神様を忘れていたって」
「それでなのね」
「そう、それでアッラーの神も許してくれて」
そうしてだ。
「人はさらに信心するんだ」
「そういう風になるのね」
「もうイスラムは凄いから」
アッラーの寛容さがだ。
「それこそ偶像崇拝とか外道な行いしなかったら」
「許してくれるのね」
「うん、登場人物ほぼ確実にハッピーエンドだし」
聖書に出ている人でもだ、聖書は大抵悪い結末になるのに。
「神様自身ね」
「器が大きいのね」
「ああでないとね」
神様はだ。
「本当によくないよ」
「そうよね」
「僕が思うにね、ちょっとしたことで神罰とかは」
「どうもよね」
「そうなるよ、というかね」
ここで僕は思うことをそのまま言った。
「コーランと聖書って全然違うんだよね」
「コーランって明るいのよね」
「そうそう、相当にね」
そのあらすじがだ。
「ハッピーエンドでね」
「どの人も」
「それで登場人物は逆境になったら」
そこからだ。
「かえって負けるかって前向きになってね」
「逆境を乗り越えるわね」
「そしてハッピーエンドになるからね」
「明るいのね」
「人は間違いを自覚してあらためたら許されるし」
もうそれでだ。
「皆背信行為とかしないから」
「聖書みたいに」
「ダビデ王もソロモン王もね」
聖書では過ちを犯す人達もだ。
「そうしたことしないでヒーローのまま終わるからね」
「ヒーローなのね」
「もうそう言っていいよ、モーゼもね」
コーランではムーサーとなる。
「結末違うし」
「後で放浪するけれど」
「何かそれもなくてお兄さんと一緒にハッピーエンドになるんだ」
アロン、コーランではハールーンとなるこの人とだ。
「それで終わるからね」
「本当に明るいのね」
「悲劇的な結末は」
コーランにおいてはだ。
「本当にないからね」
「読んでで面白そうね」
「ライトノベルも真っ青のハッピーエンド尽くしで」
それでだ。
「登場人物も明るくて強くて仲間にも恵まれる」
「読んでみたくなるわね」
「実際面白いからね」
「お勧めの本なのね」
「聖書も面白いけれどね」
「コーランもなのね」
「うん、クリスマスとは無縁だけれど」
イスラム教は流石に関係ないと思う、ただキリストはコーランではイーサーという名前で出ていてしかも
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