第二百八十一話 三人になってその一
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第二百八十一話 三人になって
僕と詩織さんはカレー用の食堂に入った、食堂の中は色々な人達が集まっていた。八条学園らしく髪の毛や肌、目の色はそれぞれで制服もだ。
そこに入るとだ、詩織さんは僕にすぐに言ってきた。
「ルートご飯を最初から混ぜてあるとかね」
「面白いよね」
「ええ、よく考えたわね」
「あれは昔だかららしいよ」
「昔?」
「そう、戦争前ね」
そんな頃のことだからだ。
「戦争前は今みたいに電子ジャーとかなかったよね」
「ご飯ね」
「あとルーもね」
こちらもだ。
「今みたいに保温とかすぐにあっためるとか」
「そういうの出来なかったわね」
「昔はそうだよね」
「電気とかない時代だからね」
「そう、だからね」
まさにその為にだ。
「その中でお客さんに温かいものを食べてもらう」
「そう考えてなのね」
「考えられたらしいよ」
「そうだったのね」
「何でもね」
「成程ね」
「それでね」
最初から混ぜてだ。
「お客さんに出したんだ」
「そうした歴史があったのね」
「うん、面白いよね」
「本当にね、あとね」
「あと?」
「さっき、お店に入る直前のお話だけれど」
今度は詩織さんから話してきた。
「太宰の作品の」
「あっ、メリー=クリスマスだね」
「どういった作品なの?」
「実は読んだけれど」
それでもとだ、僕は詩織さんに応えて話した。
「太宰の私小説でね」
「自分の生活を書いた」
「そうした作品でね」
それでだ。
「最後にある人がそう言ったんだ」
「太宰が言ったんじゃないのね」
「うん、さらさらと書いた感じに思ったよ」
太宰のある日のことをだ、とはいっても太宰の執筆速度は夏目漱石と同じ位で原稿用紙にして一日四枚か五枚程だったという。
「それでね」
「その最後になのね」
「ある人がそう言ったんだ」
「そうだったの」
「そう、だからね」
それでだ。
「まあタイトルだけれど」
「あまりなのね」
「どうもね」
これといってだ。
「クリスマスって感じはね」
「ないの」
「というか戦争が終わってすぐだったから」
まだ戦争の後が生々しく残っていて日本も荒廃しきったままだった。復興なんて見えない頃のことだ。
「クリスマスなんてね」
「今みたいにはなのね」
「みらびやかじゃなかったよ」
「もう言うだけね」
「進駐軍は楽しんでいたと思うよ」
日本に来ていたアメリカ軍はだ。
「物資が違っていたからね」
「お肉にケーキもあって」
「お酒もね」
こうしたものが全てあった、アメリカ軍の物資は凄くイタリアではそれを使ってスパゲティカルボナーラが出来たと言われている。
「あったからね」
「
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