第三章
[8]前話
「幸い小さくて人まではな」
「喰わぬか」
「この姿で驚かせることはあってもな」
それでもというのだ。
「そこまではじゃ」
「左様か、それは救いか」
「攻めてもな、しかしな」
「それでもか」
「そうして生きておる」
「そうなのか」
「非常に浅ましい暮らしをしておる」
獣のそれをとだ、青空は陸山にその姿で話した。
「今はな」
「無念に思っておるな」
「口惜しい」
これが青空の返事だった。
「実にな」
「例え仏門を学んでいてもか」
「それが正しくないとな」
そうでなければというのだ。
「この通りじゃ」
「そういうことか」
「うむ、それでな」
「拙僧に言うことはか」
「拙僧は今この姿で生きておる、そしてな」
野槌の姿でさらに言ってきた。
「拙僧の様になりたくないならな」
「それならか」
「仏門は名誉や利得に心を囚われずな」
「御仏の教えをそのままであるな」
「学ぶべきだ、このことを世に伝えて欲しい」
「わかった、拙僧も貴殿と同じくこの世の名誉や利得に心を奪われておる」
そのうえで仏法を学んでいるとだ、陸山は青空に答えた。
「貴殿の後を負うことになろう」
「左様か」
「だが今更であるが戒めとしよう」
「そうしてくれると何よりだ、ではだ」
「貴殿はその姿でだな」
「畜生道を生きてその後でな」
「次は人に生まれ変わることを御仏に願わせてもらう」
陸山は野槌の姿になってしまっている海空にこう言ってだった、彼を夢の中で見送った。そして起きると一部始終を書き残した。
これは平安期に残る逸話である、まことかどうかわからないがそれでもこうした逸話が残っていて今も伝えられている。
海空という名の僧侶が死んで野槌に生まれ変わって畜生の生を過ごしたのか、それがまことかどうかはわからない。だがこうした話が残っているのもまた事実である。人は真の学問を邪念なく学ばねばならないということか。そう考えると学問をどう学ぶべきか、今も考えるべきことであろうか。曲学阿世という言葉がある今こそ。
野槌の生 完
2020・1・12
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