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或る皇国将校の回想録
第四部五将家の戦争
第七十三話将家という生き物
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皇紀五百六十八年 九月十二日 虎城国 葦川
西州軍虎城派遣軍司令官 西津忠信中将

西津は腕組みをして唸りながら地図を眺める。現地に住む人々の間で流通している地図を取りまとめ、反映させている。見逃していた小規模な渡河点や虎城の獣道を利用した迂回路などにも哨戒網を設置せねばならない。

「豊浦参謀長、戦力回復のめどはどうなっている?」
 龍爆の被害は甚大だ。軽砲はまだどうにかなっているが重装備は龍爆で叩かれた際にほぼ壊滅状態になっている。

「重装備の調達は八割といったところでしょうか引き続き、急ぎで行ってまいります。しかし備蓄を吐き出してこれですので調達は西領だけではどうにもなりませぬ。後備の兵力を過大に申告して‥‥えー、まぁそういう諸々を駆使して財源を都合しましてとり急ぎの装備は確保しております。
装備を回復した部隊は片端から再訓練を始めました。練度の維持はどうにかめどがついております。予定の時期までには行動可能です」
 豊浦の性質はどちらかといえば軍政屋である。事務的な集成第三軍の解体や兵器の調達についての悪巧み、水軍や安東家との交渉による物資の調達など、状況を整える事に関しては西津もよくもまぁここまで手を回すものだ、と内心感心するほどの手際だった。
 彼は現在馬堂豊守が担当している官房総務課の理事官を5年ほど前に勤めていた。渉外交渉で裏道や抜け穴を突くことに関しては相応の手腕をもっている。
やや押しが弱いことが難点であったがそれを猛将と名高い西津がうまく補っていた。
西原信英がほぼ隠居状態だったとはいえその人事手腕が衰えていない事をうかがわせるものだった。

「ご苦労だった参謀長――そういう事ですので我々が動く分には問題ないかと」
 西津が視線を向けた先にいるのは四十手前の中年男だ。上物で仕立てた野戦服を既定の通り着こなしている筈だがどこか軍服に着られているような印象が抜けていない。 
 西州公子、西原信英大佐だ。10も年下の守原定康がとうに少将となっているのに未だ大佐である。人としての評判は悪くないのだが、軍務にそもそも興味を示さないからだといわれている。
 諸将時代の絵巻から書き写して今様の軍装で仕立てたような西津中将とは真逆である。
「なるほど、それならこのまま前線仕事は貴殿に一任して問題なさそうだな、西津殿」
 信置も分家筋の西津は知らぬ中ではない――若いころに受けた教育の所為で父を相手にするよりも気を張って対応してしまう。
 そして龍州の戦において彼は誰も否定できぬ英雄となった。龍口湾で彼が指揮を執った第三軍の攻勢が成功したからこそ龍口湾から生きて逃れられたのだと誰もが知っている。

「お任せください、この度の作戦も総力を挙げて取り組む、という事でよろしいのですね?」

 豊浦が遠慮がちに口挟
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