第八幕その三
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「色々な生きものが冬眠から出て来てつくしやクローバーが出て来て」
「梅や桃もね」
「出て来てね」
「暖かくなって」
「過ごしやすくなって」
「それで春って実感するわ」
そうしたことは確かに感じるというのです。
ですがここでやっぱりこう言う恵梨香でした。
「それでもね」
「桜がないと」
「それで春じゃないね」
「日本人としては」
「やっぱりそうよね」
「そう言われるとそうだし」
恵梨香も否定しませんでした。
「桜がないと春じゃなくて」
「一年のはじまりじゃない」
「学校もはじまらない」
「お正月はあっても」
「むしろお正月よりもはじまりみたいな感じで」
「その象徴がね」
本当にというのです。
「桜だけれど」
「わしは昔の日本に行ったことがあるよ」
ここで船長も恵梨香に言ってきました。
「十九世紀の終わりに二十世紀のはじまりのね」
「その頃の日本にですね」
「うん、その頃の日本もね」
まさにというのです。
「春は桜がないとね」
「春じゃないですか」
「そんな感じだったよ」
「そこまで桜が好きだと」
ビリーナはこうも言いました。
「この島にも桜を植えるかしら」
「イースター島にも」
「そうするかしら」
「植えられたら」
その場合はとです、恵梨香はビリーナに答えました。
「多分ね」
「植えるのね」
「そうするかも知れないわ」
「やっぱり日本人は桜がないとなのね」
「駄目みたいね」
「春が来ても春って気がしないのね」
「そうだと思うわ」
実際にというのです。
「私にしても」
「やっぱりそうなのね」
「それでね」
「この島にもなのね」
「植えられたら」
「植えて」
「春に楽しむわ」
そうなるというのです。
「絶対にね」
「春はね」
アメリカ人のトロットが言うことはといいますと。
「桜だけじゃないというのがね」
「他の人の意識ですよね」
「他の国の人のね」
「そうですよね」
「日本人もそうですけれど」
「桜の比重が大き過ぎるのがね」
「日本人ですか」
「あんまりにもね、それでここはね」
オズの国のイースター島はといいますと。
「南洋だから」
「南洋の植物、木を植えていますね」
「お花もね」
こちらもというのです。
「ちゃんとね」
「南洋のものですね」
「そうなっているわ」
「そしてモアイ像があって」
「そしてね」
「島の人達もおられるんですね」
「そうなの、じゃあこの島でもね」
是非にと言うのでした。
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