第五章
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「何があろうとも」
「あの方のみ」
「左様ですね」
「生まれてから死ぬまで」
まさにその一生はというのだ。
「あの方と共にあるのですから」
「あの、ですが」
ここで侍女の一人が女帝にそっと言った。
「皇帝陛下は」
「またですね」
「ロシアから来られた外交官のご息女に」
「気を向けておられるのですね」
「その様です」
「ではそのご息女を」
彼女とだ、女帝は侍女に微笑んで話した。
「プラハの街にでもです」
「招待されるのですね」
「そうすればです」
「皇帝陛下もですね」
「傍にいないので」
その為にというのだ。
「仕方ないということで」
「それでは」
「あの方は奇麗なものに目がありません」
皇帝、つまり女帝の夫であるフランツ帝はというのだ。
「ですからついです」
「奇麗な女性をご覧になられると」
「目が移りますが」
「そうした時はですね」
「あの方に悟られず気付かれない様に」
その様にしてというのだ。
「ことを収めるのです」
「それが正しいことですね」
「そうです、では」
「これからもですね」
「あの方がそういう気を起こされると」
「あの方に気付かれない様に」
「そっとことを収めるのです」
皇帝でもある夫に気付かせずそして恥もかかせることなくというのだ。
「そうすれば私も腹を立てずに済みます」
「浮気も実際にならなければですね」
「浮気にはならないのですから」
だからだというのだ。
「そうしてです」
「陛下はこれからもですね」
「妻であり続けます」
皇帝のそれであり続けるというのだ。
そしてだ、皇帝と共にいる時間を大事にした。
マリア=テレジアは寛容な人物として知られているがこと男女のことには厳しい人物だったことでも知られている、いかがわしい店や職業を取り締まったことも事実である。だが何故そうだったかを考えると頷けるものがある。女帝自身が強い倫理観を持ち夫と共に暮らしていたからだ。夫との間に十六人の子がいたこともその証であると言われている、そう考えると当時のオーストリアにもいた好色な者達は難儀したであろうが今から見ると微笑ましい話であろうか。女帝の人となりと家庭も知ることが出来て。
女帝の厳しさ 完
2019・3・15
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