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雲は遠くて
150章 米津玄師(よねづけんし)を語る、信也と竜太郎
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)いてましたよね。
その28回の最終回のイラストの、その怪獣の名前は《かいじゅう》で、人間の姿をしていて、
横を向いて、姿勢もよく立っている、可愛(かわ)いくて寂しげな女の子の姿をしているんですよね。
『体のつくりは人間とまったく違うが、見た目は人間そのもの。
話す言葉も、感覚も人間と同じで、自分自身、自分のことを人間だと思っている。
自分が《かいじゅう》であることも知らずに死んでいくことも多い』という米津さんの解説があって。
その編集後記には、編集長の山崎さんが、そのイラスト見て、
『僕は本当に感動しました』と語って、『米津玄師は、怪獣の本質を知り、
人間の本質も知り、その上で、コミュニケーションを取り合いながら、
どこかへたどり着こうよ、という決意をしたんだと思います。
怪獣と人間とを分ける価値基準もない、未来の光景のようで廃墟でもあるような、
暗闇のようで光にあふれている。思い出の残像のようだけど何よりも確かな、
そんな世界へともう恐れることなく歩き出そうとしているのだと思います。』って語ってるんですよね。
そんなふうに、2015年ころに、山崎さんは、米津さんの才能を高く評価しているんですけど。
米津さんも当時、『自分が普通になって、幸せに暮らすためには、《サンタマリア》を作って、
普遍的な音で、普遍的な言葉で、何かを表現するってことしか残ってなかったんですね。』
と語っていますよね。こんな米津さんの生き方や発言からは、
やっぱり、米津さんも、心とでもいうのか、魂とでもいうのか、愛とでもいうのか
目には見えない、語ることも難しい、
そんな何かを大切にしていたんじゃないかと考えるんですけどね」

「米津さんは、『昔から人とのコミュニケーションがうまくとれない人間で、
そういう軋轢(あつれき)の中で暮らしてたんですけど、高校の時とかほんとにひどくて、
クラスメイトが外国人どころか、動物にしか見えない。
もしかしたら()み殺されるかもしれない。ヤバいからすみっこのほうでじっとしていよう、
ということをずっと思ってて・・・ほんとに(いや)で。
専門学校は、高校に比べたら自由じゃないですか。別に行かなくてもいい。
そう思ってたから1年で辞めるんですけど、で、ボーカロイドっていう素晴らしい
砂場を見つけて、そこでずっと遊んでたんですね、誰の視線も気にせずに。
1年くらい遊んでいたら、やっぱり反動っていうか。自分はもともと、
人とコミュニケーションとれない、そういうところで生まれ育った人間であって、
だから、ブカロ界隈の友達もほとんどいないんですよ。』とか語っているよね。
2015年のこんな対談に対して、インタビューの山崎さんは、『米津君は生まれたときから、
疎外感と孤独感、その一方で、持ってい
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