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同行二人
第一章
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               同行二人
 四国ではお遍路が行われていることは日本では有名な話である、四国の名物の一つとなっている位だ。
 このお遍路での話をだ、富田文太は定年しお遍路に出る前に聞いて言った。
「その話はわしも聞いてるが」
「それでもですね」
「まさか」
 こう親しい住職に言うのだった、彼の檀家でもある真言宗の寺の住職でこの度のお遍路を勧めてくれて行ける様に手配もしてくれた。
「そんなことが」
「しかしです」
「実際に言われているのはな」
「富田さんもご存知ですね」
「ああ」
 富田はその角刈りがよく似合う面長で引き締まった顔で答えた、目の光は確かで顔立ちは渋みがあってかつ整っている。一七八位の背で身体つきは細い。
「その話は。しかし」
「この話は本当です」
「大師は本当にか」
「今も生きておられ」
 空海、弘法大師と呼ばれ高野山つまり真言宗を開いた彼はというのだ。
「そしてです」
「お遍路をされていて」
「お遍路をしている人達を助けていてです」
 そしてとだ、住職はさらに話した。
「見た人もいます」
「本当かのう」 
 富田は住職の話に首を傾げさせて問い返した。
「いや、わしもその話は前に聞いていて」
「ご存知ですね」
「そうじゃ、しかしな」
「本当とは」
「思ってなくてのう」
 それでというのだ。
「本当かどうか」
「信じられないですね」
「そりゃ魂はこの世にあるかも知れん」
 それはというのだ。
「身体がなくてもな、しかしのう」
「まだ生きておられて」
 この場合は身体があるということだ。
「そうしてお遍路で見た人がいるということは」
「流石にないんじゃないか」
 これが富田の考えだった。
「高野山におられるんじゃないか」
「あの山にですね」
「そして時が来るのを待ってるんじゃないか」
「そうした意見もありまして」
「そしてか」
「はい、そしてです」
 そのうえでというのだ。
「お遍路の方もです」
「そうした話があるんか」
「ですから貴方もこれからお遍路に行かれるので」
「その時にか」
「大師に会うことが出来るかも知れないです」
「お遍路の人達を護ってくれる」
「何故同行と言うか」
 お遍路のことのことについてもだ、住職は富田に話した。静かな寺の本堂において二人で話していく。
「二人なのか」
「大師さんがおられるからじゃ」
「そうです、常に護ってくれているのです」
 お遍路に出ている人達をというのだ。
「そしてお傍にもいてくれているので」
「同行二人じゃな」
「そうなのです」
「しかしまだ生きてお遍路で四国を歩き回ってるっちゅうんは」
「信じられないですか」
「まさかわしも会うか」
「若しかしますと」
 住
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