第三十夜「逃げ水の行方」
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べることは出来ないと思っていたものだった。
「さぁ、召し上がって下され。」
そう言われるが儘、彼女は水羊羹を一切れ頬張った。
濃い小豆の味と香り、そしてほんのり甘く…これは市販のものでは味わえない。
「本当に…美味しい…。」
彼女は心からそう言った。その言葉に、住職も顔を綻ばさせた。
「それは何より。随分と疲れとる様でしたからなぁ。」
「私…そんなに疲れた顔をしてましたか?」
住職のに、彼女は恥ずかしくなってしまった。
そんな彼女に微笑み、住職は言った。
「ここに辿り着く方々は皆、疲れ切っておられる。私はただ、こうしてささやかに持て成すことしか出来ませんがな。」
「…?」
彼女はここでやっと…これは変だと気が付いた。
何故か、今までは頭に過る程度だったのだが…住職の「辿り着く」と言う言葉に引っ掛かったのだ。
ここは寺だ。中には人生に疲れて参拝する者も訪れよう。
だが、それは<辿り着く>とは違う…。
「和尚様…ここはもしかして…。」
彼女は記憶を振り返り、全てを思い出して問い掛けた。
そう…彼女の故郷は、もうないのだ。ダム湖の底深くに沈んでいるのだから…。
「思い出されましたかな。そう…ここはもう在りはせぬ場所。」
住職はそう答えて茶を啜る。
「では…私はどうしてここに…?」
「いや、簡単なこと。貴女、逃げ水を追ってここへ来られたんですよ。」
「逃げ水…あっ!」
そう、彼女は忘れていたのだ。あの水溜まりは…逃げ水と言う“現象”なのだ。追い掛けたところで、そこに水溜まりなど有りはしない。
どうしてそんなことも忘れていたのか…。
「疲れとったんですよ。ですから、懐かしい場所も通りなさったろ?」
微笑みながらそう言う住職に、彼女は駄菓子屋や雑木林を思い出しながら返した。
「はい…そうだったんですね。ここは…もうあるはずのない私の故郷…。」
「そうなりますかな。どう言う訳か、逃げ水の中にはそういったものがあるらしく、疲弊された方の元へ現れては、懐かしい場所へと誘うらしい。」
彼女はそれがどういう理屈かは分からなかったが、追っていたあの逃げ水に感謝した。
「さて、もう落ち着かれたようだ。余り長居は良くありませんからな。」
住職はそう言うと、彼女の前に小さな風呂敷に包まれたものを差し出して「持って行きなされ。」と言った。
「作り方も入れてあります。どうか元気でやってくだされ。」
住職がそう言ってニッコリと微笑むと、彼女の視界はぼんやりと霞んでゆき…気付けば、あの纏わりつく様な暑さの中に戻っていた…。
辺りを見回すと、そこは彼女の家の庭先…。
「そうだった…私、洗濯物を干していて…。」
そう頭を整理しつつ脇を見ると、そこには袋いっぱいの駄菓子と風呂敷包み…。
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