333部分:第二十五話 キャンプファイアーその五
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第二十五話 キャンプファイアーその五
「だから」
「何か夢みたいだよ」
陽太郎はここでその言葉を恍惚とさせた。
「こんなのってさ」
「けれど夢じゃない」
「ああ、そうだよな」
「つきぴーは現実にいる娘だから」
「だから夢じゃないんだよな」
「そういうこと。だから現実を思いきり楽しんでくればいい」
「現実って楽しいものなんだな」
津島のその言葉にだった。陽太郎はこのことに気付いたのだった。
「そうだったんだな」
「そう。ただ」
「ただ?」
「楽しみだけじゃないけれど」
言葉がいささか哲学的なものにもなった。
「それだけじゃないけれど」
「苦しみもあるっていうのか」
「愛別離苦」
この言葉を出す椎名だった。
「それもある」
「そうした悲しいことも辛いこともか」
「全部ある。それが現実」
「ややこしいんだな、それじゃあ」
「そう。ただ」
「ただ?」
「それは仮想の世界も同じ」
そちらもだというのである。つまりアニメや漫画や小説、ゲームの世界もだ。そうした世界もまた現実と同じものだというのである。
「現実は人が作るもの」
「人が住んでる世界だからだよな」
「そう。そして仮想も人が作るもの」
「それで同じなんだな」
「そう、人には楽しみがあって」
まずはその楽しみから話すのだった。
「悲しみや苦しみがあるから」
「だからそっちもなんだな」
「そう。どの世界も同じ」
「ユートピアとかそういうのってないんだな」
「ない」
断言だった。
「それも人が作る世界だから」
「結局楽しみや苦しみがあるのか」
「そしてその人は」
「ああ、人は?」
「神様が創ったもの」
この言葉も出た。神だった。
「その神様達がどう思っているかも関係するから」
「神様なあ。俺の場合は」
「何?」
「仏様なんだよな」
そちらだというのだ。日本においては古来より神と仏はおおむね同じものとして考えられている。日本独自の考えである。本地垂迹説等がそれだ。
「だからな」
「家仏教だったの」
「元々な。爺ちゃんがあれなんだよ。お寺でさ」
「お坊さんね」
「それも両方な。ひょっとしたら俺も将来は」
「頭つるつる」
「いや、それはしなくてもいいから」
それはいいというのである。
「宗派の関係でさ。それはいいんだよ」
「そうなの」
「ただ。お坊さんになるかもな」
陽太郎は首を傾げさせながらこう話した。
「ひょっとしたらな」
「お坊さんに」
「将来のことはわからないけれどさ」
このことが最もわかりにくいことだ。まさにこの世は三寸先は闇であるからだ。未来のことは誰にもわかりはしないのである。そういうことだ。
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