暁 〜小説投稿サイト〜
ドリトル先生と奈良の三山
第十幕その六
[1/2]

[8]前話 [1] 最後 [2]次話
「よかったよ」
「そうよね」
「天理教のことも学べたし」
「この神殿にお邪魔して」
「そうしてね」
「そうだね、何ていうか」
 また言った先生でした。
「僕は天理教の神様にここに連れて来てもらったのかな」
「だから天理に来てね」
「こうしてお参りもしたのね」
「そうかもっていうのね」
「そう思うよ。じゃあ参拝の後は」
 靴を履いて階段を降りつつ言う先生でした。
「ラーメンを食べようか」
「あっ、天理ラーメンね」
「確か彩華っていうお店の」
「あのラーメン食べるのね」
「そうするのね」
「そうしよう、ちょっと晩御飯には早いけれど」
 それでもというのです。
「食べようね」
「奈良は天理ラーメンも有名ね」
「今は奈良名物の一つって聞いてるよ」
「じゃあ皆でそのラーメン食べよう」
「今からね」
「そうしよう、辛くて美味しいよ」
 その天理ラーメンのお店に行くことになりました、先生は皆と一緒に神殿を後にしてそうしてでした。
 商店街に入りましたがその商店街を進んで皆また言いました。
「長くない?」
「結構以上にね」
「先が見えない感じで」
「こんな長い商店街そうそうないよ」
「ちょっとね」
「この商店街のことも聞いていたけれど」
 先生も言います。
「実際に入るとね」
「凄いね」
「この長さは」
「何かお店の一つ一つが大きい感じがするし」
「そういえば小さなお店ないね」
「大きなお店ばかりよ」
 普通の商店街に比べてです。
「ここは」
「天理教のものを売っているお店もあるし」
「本とか楽器をね」
「こうしたところで買って学べるのね」
「天理教のことを」
「そうだね、こうした本も持ってるけれど」 
 先生は八条学園で買っています、この学園の大学に宗教学部があるのでそこで購入出来るからです。
「ここに来るとね」
「何時でも買えるのね」
「それも色々な本がありそう」
「いい太鼓とか笛とか琴も売ってて」
「天理教のものなら何でも買えそう」
「それで揃えられるわね」
「そうだね、ここはね」
 実際にと言った先生でした。
「まさに天理教の中心だから」
「商店街も天理教のものが多い」
「そうしたものを売っているお店も」
「まさに天理教の街ね」
「宗教の街ってことね」
「日本人は宗教への関心が薄いというけれど」
 俗に言われる言葉ではあります。
「けれどね」
「あながちそうも言えない」
「そういうことね」
「少なくともここは違うわね」
「信仰心のある人が多くて」
「それでよね」
「日本人も信仰があるってこともわかるわね」
 皆もわかりました、その言葉はあながち言えないということも。
「ここにいると」
「じゃあ今からね」
「天理ラーメンを
[8]前話 [1] 最後 [2]次話


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2024 肥前のポチ