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ドリトル先生と奈良の三山
第十幕その三
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「あの場所に天理王命、天理教で親神様という神様がおられてね」
「そうなんだ」
「じゃああそこに神様がいて」
「あのかんろだいにも何かあるの」
「そうなの」
「人が神様の望むようきぐらし、心が豊かな生活を送れる様になればね」
 その時にというのです。
「あそこに甘いお水が降りると言われているんだ」
「ああ、それを受けるんだ」
「その為の台なの」
「だからあそこにあるのね」
「かんろだいっていうものが」
「本来は石造りだけれどこのことは色々あってね」
 天理教の歴史の中にです。
「今は木なんだ」
「本当はそうなのね」
「石造りの予定なの」
「そうしたこともあるんだ」
「天理教には」
「うん、じゃあまずはお参りをして」
 そうしてというのです。
「またね」
「うん、じゃあね」
「それから他の場所を巡る」
「そうするのね」
「そうしようね」
 是非にとお話してそうしてでした。
 先生は実際に神様の神殿から通路に出ました、その通路は見事な木造りのものですが皆はその通路を進みつつ気付きました。
「これ檜だね」
「この神殿全部檜よね」
「これだけ立派な檜の建物ってね」
「日本にもないよね」
「そうそう」
「うん、この檜も用意されていてね」
 そしてというのです。
「山があって」
「その山からだね」
「檜を取り寄せて造られているのね」
「そうなのね」
「そうだよ、これだけの檜を用意するのも大変だけれど」 
 それでもというのです。
「ちゃんとね」
「手配してなの」
「造られているのね」
「そう、そしてこの通路を使って神殿を一周して回るとね」
 そうすると、というのです。
「その人の運気が上がるらしいよ」
「神様のご守護を受けて」
「それでかしら」
「そうだよ、この神殿は風水的にも立派らしくて」
 それでというのです。
「その意味でも素晴らしい場所なんだ」
「そうなのね」
「じゃあここも回って」
「そうしてなのね」
「僕達も運勢を上げていくべきなんだ」
「そうしようね、皆で」
 こうお話をしてそしてでした。
 皆で通路を進みます、すると時々通路を屈んで拭いている人を見ますが先生はこの人達のお話もするのでした。
「回廊ひのきしんっていってね」
「ああ、通路を拭く」
「そうしたこともするんだ」
「ひのきしんって奉仕っていうかボランティア?」
「他の宗教とかだとそうなるっていうけれど」
「まあそう言っていいね」
 実際にと答えた先生でした。
「ひのきしんはね、キリスト教の考えだと」
「そのことをしてるの」
「回廊を拭いて奇麗にして」
「それでなんだ」
「務めているの」
「そうだよ、これは誰でも出来るからね」
 先生は皆ににこりと笑ってお話し
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