如何にも悲しく
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財家というものがあった。
安東、西原、駒城、守原、宮野木に代表される血族によって経営される、巨大財閥のことであり、日本を支配する者たちの総称である。正直に財閥と呼称することに、憚りがあった故の呼び名であった。
人間が政治的動物である以上、世に平等はなく、経済の発展と共に格差が拡大していくことは必然である。資本主義が社会主義より優れている点は、政治と経済を切り離し、格差を固定化させない機会と努力が許されている点にある。
もちろん、完璧が存在しないように、所詮は気休めではある。この利点が生かされない資本主義国家というものも存在した。
残念なことに、日本はそれに該当する。当時それは、経済的格差を越えて、一種の身分制度にまで昇華されようとしていた。
それで何も問題らしい問題とならなかったのは、日本が日本たる所以だったのだろう。政治への関心などというものは、死滅して久しかった。当の財家さえ、政治には消極的であったのだから。
彼らが望んだのは、ただ富と地位の維持存続だけだった。日本などという難しい国家の統治に関わるなど、余程の物好きでもなければなし得ない苦行だ。
何せ、災害が頻発し、常に資源不足で、自覚なき食糧難に晒されているのである。地政学的に言っても、ロシア、中国に蓋をする存在だ。優秀な官僚と友好的な関係を築く方が、まだしもな選択に思えただろう。
それが一変したのは、当然ながら深海棲艦の出現によってだった。シーレーンの破壊。これがいかに劇的な影響を日本に与えたか。この時点で、国など吹き飛んでもおかしくはなかった。
幸いと言ってよいものか。失業者はほとんど陸軍に吸収され、同時にこの世から永遠に消え去った。瓦礫は山になることも出来ず、炎と砲煙の中で砕け散った。残ったのは、奇妙に肥えた平野と、価値の激減した貨幣のみ。
芋の苗を植えては深海棲艦が耕すといった、不毛な毎日の中で、国民の大半が農奴のようになった。内陸に残った限られた電力インフラで、水耕栽培プラントが稼動を始め、前装銃による戦術が確立された頃には、企業が軍を養い、運用するような体制が出来上がっていた。国が頼りにならなかったのではなく、それが可能なまでに国家が縮小したのだ。それを許す土壌もあった。
彼ら自身、生き残りに必死であった。そのためなら、血族を戦場に送り出すことも厭わなかったのだから、徹底している。当然、無関係ではいられない程の状況であったことは否定出来ないが。
やがて国内の混乱や、数多の侵攻を越えて、重心が軍に傾く頃には、将軍職は彼らによって独占され、軍閥としての性格を帯びるようになっていた。財家という呼び名も廃れ、現在は将家と呼ばれるようになった。
彼らの力は、財でも証券でもなく、農地と農奴によって維持できる、軍事力によって示される。そして、北海道は
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