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ドリトル先生と奈良の三山
第五幕その九

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「実際にね」
「そうだったね」
「そういえばね」
「万葉集は色々な歌があって」
「飛鳥時代の歌もあるわね」
「その前の時代の歌もあって」
「雄略帝の歌もあるよ」
 この帝の作品もというのです。
「かなり昔の帝のね」
「何か暴君って言われてたけれど」
「歌を詠う様な方でもあったのね」
「そうなのね」
「そうなんだ、そうしたこともわかるのが万葉集だよ」
 そうだというのです。
「万葉集も読んでみると面白いよ」
「日本の心がそこにあるんだね」
「自然や恋、人の気持ちを詠っていて」
「そうなのね」
「うん、だからね」
 それでというのです。
「僕は万葉集も読んでいてね」
「それで学んでもいる」
「そうなんだね」
「そちらの方も」
「万葉集についても」
「そうだよ、万葉集は本当にね」
 先生は万葉集についても笑顔でお話しました。
「最高の学問の題材の一つだよ」
「人を知ることの出来る」
「まさにそうしたものだね」
「だから先生も読んでだね」
「学んでいるんだね」
「そうだよ、あと万葉集の論文もね」
 それもというのです。
「今書いているしね」
「あれっ、じゃあ論文四つ?」
「前に三つって言ってたけれど」
「東大寺のことと飛鳥時代のことと三山のこと」
「文学の論文もって言ってたけれど」
「それも?」
「そうだね、じゃあね」
 それならとです、先生も応えました。
「四つになるね」
「そうだよね」
「三つじゃなくてね」
「万葉集もだから」
「それになるから」
「うん、どうも飛鳥と万葉集が一緒になっていたよ」
 そうしたものがというのです。
「僕も、けれど四つ共ね」
「書くよね」
「先生は論文は最後まで書くから」
「論文は完成させないと論文じゃない」
「いつもそう言ってるしね」
「そうだよ、だから書きはじめた論文はね」
 書きはじめたならというのです。
「完成させないと駄目だよ」
「そうして発表しないとだね」
「駄目だよね」
「完成させてこそ論文」
「そう言ってるよね」
「それで完成させなかった論文ないよね」
「最後の最後まで」
 皆もこのことはよく知っています、伊達にいつも先生と一緒にいるわけではありません。それでです。
「だからね」
「最後まで書くよね」
「書き終えてね」
「そうして発表してるよね」
「そうしてるよ、まず論文を書く」
 これこそがというのです。
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