第75話 俺と彼女の、甘くも苦い夏の夜
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久水の部屋であり、俺の泊まる部屋でもあるという――あの豪勢な個室。
そこへ続く扉の前で、俺は数分ほど立ち尽くしていた。
……自分に充てられた部屋に入るのを躊躇うって、どういう状況だよ、全く。啖呵を切っても、いざとなると足がすくんじまう悪癖、いい加減なんとかならないかなぁ……。
――四郷は、久水が俺を好きだと言ってた。それが本当なら、両手離しで喜ぶところだろう。
だけど、今の俺は救芽井の婚約者。少なくとも、そういう立ち位置になっていることには変わりない。
四郷の話が本当ならば、彼女との関係は、今夜で大きく変わっていくことになるだろう。それがいい方向に行くか悪い方向に行くかは、恐らく俺次第になる。
――そう、変わるんだ。例え、嫌われる結末になるとしても。
俺は人生の分かれ道を見据え、呼吸を整えると――
「久水……いるか?」
――ゆっくりと、扉をノックする。
それは軽く二、三回小突いた程度の音だったが、俺には運命の鼓動のようにすら感じられた。
顔から血の気が失せて、肩から背中にかけて冷や汗が噴き出す。それに反比例するかのように心拍はドクンドクンと跳ね上がり、心臓だけがまるで別の生き物になったかのように動き続けた。
だが、そんな俺の状況を嘲笑うかのように、この場には沈黙が漂い続けていた。ノックと心拍の音を除く全てが、静寂に包まれているかのように。
「……入るよ?」
――もしかしたら、部屋に帰ってない? それとも、居留守? ……どちらにせよ、入って来られて困るなら「入っちゃダメ」くらいは返して来てもいいはず。
何も返事がないまま開けるのは少々マナーに反するだろうが、返事が来るまでドンドン叩くのも気が引けてしまう。
救芽井と初めて会ったときのようなラッキースケベ(笑)が起こらないことを祈りつつ、俺はゆっくりとドアノブを握り、力を込めた。
運命の扉は僅かな軋みすら起こさず、滑らかな動きで俺を部屋へと招き入れる。別荘自体が最近造られたというだけあってか、ドアの開閉にありがちな「キィ……」という音すら立たなかった。
そういや、茂さんに呼び出されて内側から開けた時も、随分とドアが軽く感じられたっけ。あの時はそれどころじゃなかったから、意識してられなかったけど。
……逆に言えば、今の俺の周りはそんな些細なことに気がつくほど静か、ということか。
「ひ、久水……?」
そして部屋に足を踏み入れた途端、俺は息を呑んだ。
部屋に電気が付いておらず、夜中ということもあって、辺り全体がほぼ真っ暗になっていたのだ。
――いや、完全に暗闇というわけではない。電灯ではないのだが、やや大きめの明かりが伺える。
その光の形、そしてそこから微かに聞こえ
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