精神の奥底
70 海での再会
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底は無かった。
ただ深く冷たい海の底へと沈んでいくのだけが分かる。
身体には力が入らないし、入れようとする気すら起きない。
「……ん」
どうしてここにいるのだろうか。
それすらも思い出せない。
だが確かに言えるのは、何か大きなダメージを受けたこと。
それも身体ではなく、心に。
人の心は存外繊弱なものだ。
それはこれまでも身を以て経験してきた。
だが人はその度に乗り越え、時には抱えたまま前に進んでいく。
しかし今は違う。
「……っ」
何故か涙が流れた。
これまで乗り越えられずに抱えてきたものが一度に弾けた。
それが何だったのかもはっきりと思い出せないが、乗り越えることもできず、抱えていたものは時に忘却という優しさが解決してれる。
沈めば沈んでいく程にさっきまで覚えていたことを忘れていくのを感じた。
このまま全て忘れてしまえばどんなにいいだろうと思い始めたその時だった。
「ん…?」
冷え切った手のひらに暖かいものが触れた。
ゆっくりと目を開ける。
自分の手を掴む腕を目で辿ると、この暗黒の世界には不釣り合いな程美しい姿の少女がこちらを見つめていた。
「アイリ…ス?」
彼女はこれまでも何度か夢に現れたアイリスと瓜二つの少女だった。
厳密には顔立ちは瓜二つだが、服装はブラウスとスカートで色はモノトーン、髪の色も亜麻色のアイリスに対してアッシュグレイ、瞳の色は青に近い緑。
これまではっきりと見たことが無かったが、よく見れば自分が知っているアイリスとはかなり違う。
少なくとも本人ではない。
そんな少女は徐々に徐々に意識を取り戻す彩斗にこう言った。
これ以上沈んだら助からない
彼女の手の暖かさで徐々に記憶が戻ってくる。
僕は……死んだのか?
ものを考えることができる段階で死んではいないはずだが、全くと言っていい程に生きた心地がしない。
ここにきてようやく今、自分が置かれている状況が分からないことに不安を覚えた。
まだ死んでないし、絶対に死なせない
少女は彩斗を掴む手に力を入れた。
海を自由に泳ぎ回る人魚のような動きで彩斗とともに浮上する。
徐々に意識がはっきりとしてきた彩斗はようやく自分が何処にいるのかを認識した。
「……」
ここは自分の心の中だ。
これまで何度も夢で見たことがある。
真っ暗な海の中、魚が1匹すら泳いでいないし、海面が石油に汚染されたように光が差し込んでくることもない。
文字通り『死の海』という言葉が似合う場所だった。
僕はここから生まれたのか…
生き物は海から生まれたという。
だがこんな海から生まれた生き物がまともに生きられるはずがない。
生まれつき醜く、蔑まれ、最後は野垂れ死ぬのが関の山だ。
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