1. あなたと言葉を交わしたくて
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今日のチェロの練習を終えた僕は、カーテンの隙間から差し込むオレンジ色の陽の光に、ここではじめて気がついた。壁掛け時計を見る。午後五時半。お昼すぎからずっと集中していたから、こんな時間になっていることに全く気が付かなかった……
「そっか……もうこんな時間か……」
ポツリとつぶやく。そしてそれが夕食が始まる時間まで、あと僅かしかないということに気がつくキッカケとなり、僕は慌ててチェロを片付けて部屋の片隅に置き、急いで譜面台と譜面を畳んで帰る支度をした。
支度を済ませたら足早に練習室を出る。目的は東海道鎮守府の食堂。あそこの夕食を食べることが、僕の毎日の日課になっている。一日たりとも、欠かすことは出来ない。
深海棲艦たちとの戦争は、両者の和解と平和条約の締結という、当初誰も予想してなかった形で、静かに幕を閉じた。深海棲艦サイドとの戦闘に備えて全国に建設された海軍鎮守府は、今では海洋交通の窓口兼、僕達人間と深海棲艦たちとの交流と憩いの場になっている。東海道鎮守府は終戦にもっとも貢献した鎮守府として有名なところのはずだが、今ではそんな姿もなりを潜め、深海棲艦サイドからの観光客がひしめく一大レジャーランドの様相を呈してきた。
そんな東海道鎮守府に、美食家たちもうなるほどのおいしい食事を食べさせてくれる食堂がある。名物は冷やしおしるこ。でもそれ以外のお料理も絶品。メニューに外れのない、それでいて価格もリーズナブル……そんな奇跡の食堂に、僕は毎日、足繁く通っている。
もちろん、美味しいメニューもその目的なのだが……それ以上の理由が、僕にはあった。
スタスタと足早に歩き、東海道鎮守府の門をくぐる。敷地内はまさに別天地。かつては命を奪い合った艦娘さんたちと深海棲艦さんたちが肩を並べて歩き、談笑し、ふざけあっている。そんな幸せそうな人たちを横に見て、僕はスタスタと食堂へと向かう。
食堂に到着すると、途端に今日の献立のよい香りが僕の鼻に届いた。『ん〜……いい香りね……』と僕のすぐ後ろに並んでいる金髪碧眼の女性がドイツ訛りで口ずさみ、その隣の、大きな帽子をかぶった人型の深海棲艦さんも『イイカオリ……ヲッ……ヨネ……』とぽそっとこぼしていた。この香りは筑前煮。ここに通うようになって何度も味わった僕は、それがいかに美味しい代物であるか知っている。この筑前煮の香りが、僕のおなかを否応なしに刺激する。
この食堂は、その日提供してくれるメニューが決まっている。それをお客は並んで店員さんから受け取り、店内の席で食べるという、フードコートのようなシステムになっている。僕も例外なく献立を受け取る列に並び、自分の番を待った。少しずつ少しずつ列が進み、やがて僕が献立を受け取る順番が来た。
「あら、いらっしゃいませ」
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