第16話 ハンガリー戦車哀史
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グラードに突入し、市街の90%を占領したドイツ第6軍だったが、両翼を伸ばして市街を取り囲んだソ連軍に包囲され、ハンガリー第2軍を含む他の部隊は、1,000両のT-34を先頭に押し立てて第6軍のうしろを守るルーマニア第3、第4軍を討とうとするジューコフの攻勢を正面から受けてほぼ壊滅した。
このときハンガリー第2軍に所属した200両あまりのToldiは、ソ連軍が後退戦を演じていたときから撃ち減らされ続け、T-34の前に文字通り鎧袖一触の惨敗を喫し、ほぼ全滅してしまった。
マンシュタイン将軍は撤退するドイツ軍のために、同盟国の輜重部隊をすべて取り上げてしまい、ハンガリー軍残余もロシアの厳しい冬のさなか、さらに消耗を重ねた。
ハンガリーの戦車将校タールツァイ・エルヴィンが、ようやくのことで再編成された2個装甲師団のひとつ、第2装甲師団に配属されたのは1943年1月のことだった。
彼の所属する連隊はTur?n180両、Toldi86両を基幹とし、ウクライナ方面から来襲する猛将イワン・コーネフの率いるソ連軍と激突、ドイツ軍の撤退掩護をしつつ戦線を一度は押し戻すも、返す刀で保有戦車のほぼすべてを失い後退する。
Toldiの紙装甲はあいかわらずだったし、Tur?nも正面装甲垂直50mmとV号程度の防御力しか持っていない。
彼らがもっていた戦車は後方に温存していたわずか7両。しかし師団が「火消し」ことモーデル元帥のドイツ北ウクライナ軍集団の指揮下に付いたことで、ティーガーT10両、W号12両、V突10両を供与される。エルヴィンはその後ずっとW号に乗って戦い続ける。
ハンガリーの首都ブダペシュトにあるヴァイス・マンフレート社では1943年から短砲身75mm主砲装備のTur?nUに43口径75mm砲を搭載する改良を始めるとともに、T-34などのソ連新鋭戦車に対抗しうる主力戦車の開発に着手する。
しかし既存のTur?nの量産も遅々として進まない状態であり、新規の、しかもはるかに大きな主力戦車の開発に割けるリソースはほぼなかった。
その新型戦車は、1944年になっても影も形もなかったが、陸軍当局によって1944年制式兵器を表す44Mという記号と、ハンガリー建国7部族の族長の一人から名を取って「Tas」と呼ばれることとなった。Tas重戦車が歴史に名を記したのはわずかにこのときだけだった。
そしてTur?nの改良型の試作車に砲を乗せるところまでいけず、Tasの試作車台がやっと組み立てられ始めた1944年7月27日、ヴァイス・マンフレート社は米軍機の爆撃を受け、本社と工場すべてを失った。
試作中の戦車も破壊され、あとは焼け跡にわずかに残った部品で、寄せ集めの戦車を細々と作るという惨状となる。ここにハンガリーの国産戦車の夢は断たれた。
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