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東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!
刀会 4
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 舞は武に通じる。これは琉球空手、それも王家に代々伝わる一子相伝、門外不出の武術である御殿手(うどんてい)にある思想だ。
 剛と柔の技を積み重ねて修業を積んでいくと武は舞に至る。相手に応じてどんな変化もできる柔かい動きの極まりが武の舞であり、舞の武なのだ。
 琉球舞踊と琉球空手は密接な関係にある。

「プハッ! 竹刀なんぞぶん回してなにが兵法だ、笑わせるな」
「竹刀のどこが悪い、近代剣道を否定する気か?」
「ああ、否定するね」

 断言する。

「防具をつけて竹刀で面だの胴だのやる剣道なんて、ただのチャンバラごっこだ。竹刀で人が斬れるか」
「たしかに斬れないが、殺せるぞ」

 江戸時代の剣客に大石種次という人がいる。強烈な左片手突きの使い手で、試合のさい相手の鉄面を突き破り、眼球が面の外まで飛び出すほどの深手を負わせたという逸話がある。
 こんな技を生身で受けてはたまらない、死ぬ。
 昭和の剣聖と謳われた高野佐三郎も試合中に喉を突かれ、大ケガをしたことがある。
 剣道の動きのひとつひとつはいずれも一撃で相手を殺すことができる必殺のものだ。
 よく剣術を題材にした漫画などで竹刀で人は斬れないだの、かかとが浮き腰の入ってない竹刀稽古は重い真剣を振るうにふさわしくない。などと書かれ剣道はなにかと貶められるが、なぜ真剣にこだわるのか?         
 竹刀で人が殺せるのならそれでいいではないか。
 剣道の原点である古流剣術は殺すため殺されぬための実戦術で、とにかく敵を叩き斬って自分が生き残ればいいというのが基本であり神髄だったはずだ。
 現代の日本で真剣を持ち歩くのはむずかしい。だが竹刀やそれに等しい棒状の物ならいくらでも手に入る。それらを武器としてあつかう技術を磨くこと。すなわち剣道とは立派な実戦武術なのだ。

「――うちの生徒は、巫女クラスのみんなはいざとなればみずからを刃に変えて戦う術を習っている。彼女達の武術は無意味じゃない。たとえばそこの」

 そう言ってシェイバを指差す。

「そこにいるのはあんたの式神だろ。速さと力に秀で、かなり強いようだが技のほうはどうかな?」
「え、ええっと……」
「半端な技なんぞこいつにゃ必要ねぇし通用しない。技を超える純粋な力。それがこいつの強さだ」

 そしてオレもそうだ。鏡はそう心中でつけくわえた。

「半端な技ならそうかもしれないが、うちの生徒に半端なやつは一人もいない。さっきはずいぶんと暴れてくれたみたいだが、霊災として修祓されなかったことを感謝するんだな」
「プハッ! こいつらにシェイバが祓えられると思ってるのか!? おいおいセンセイ、見鬼が濁ってるぜ。霊力の差を考えろ、小手先の技でどうこうできるレベルじゃねぇぞ」
「ここにいる優勝者の少年
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