ロクでなしども、出会う
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肪。これを塗ればどんな傷もあっという間に治ってしまうという――」
「綺麗な安物と光り輝く宝石があるよ」
「ちょいと兄さん、いい子がそろってますよ。一休みしてかないかい?」
あやしげな口上の物売りやら、昼間から客を引くポン引きが声をかけてくる。
油断をすれば懐の物をすられてしまいそうだ。
「さあさあ、はったはった!! はって悪いは親父の頭、はらなきゃ進まぬ帆掛け船」
広場のそこかしこでカードやダイスを使った遊技がおこなわれており、積んである貨幣が賭け事であることを示していた。
「賭場か」
普段の秋芳なら軽く無視して通りすぎるところだろう。彼はギャンブルが嫌いだった。
まずシステムがいただけない。ギャンブルというものは必ず胴元がもうかる、客が損をする仕組みになっている。一度や二度のまぐれ当たりでアブク銭を手にすることはあっても、長い目で見れば必ず損をする。
そんな遊びに手を出す輩は阿呆だ。
公営ギャンブルなどもってのほかだ。競馬もパチンコも江戸時代にヤクザが仕切っていた賭場よりも高い寺銭を取っている。
ただでさえ高い税金を徴収されているのに、さらに金を出すなど愚者の所業だ。
ギャンブルだと認識している人は少ないが、 宝くじも似たようなものである。
宝くじの寺銭(配当率)はおおよそ四八パーセント。これは仮に宝くじを一人で買い占めても半分は損するという計算になる。
当選金が増えただの高額になっただの言うが、この数字が変動しない限り意味はない。
そしてギャンブルで勝って得た金は負けた人の金だということ。
お金というのは労働の対価、みずから働いてはじめて手にするものであり、だれかの不幸の上に成り立つ稼ぎなど盗んで手にした金にひとしい。そんな汚れた金はいらない。
秋芳はそう考えている。
「あまり気は進まないが、先立つものが必要だしなぁ」
アルザーノ帝国魔術学院の入学金は高く、入れたとしてもこれまた高額な学費を払い続けなくてはならない。今は少しでも多くの金が欲しい。
秋芳は広場に入り、ひとつひとつの賭け事を見て回った。
もっとも注目するのはゲームの内容やイカサマの有無ではなく、客だ。
ついている客とついていない客を探す。
運が良い、悪いという意味のついてる、ついてないという言葉は本来ならば「憑く」と書く。憑依の憑く、だ。
ギャンブルで大勝ちしたときに「今日はついている」と言う。負けたときは「ついてなかった」と言う。呪術にうとい一般人は意識していないだろうが、これらは「憑いてる」「憑いていない」と書かれるべきなのだ。
すなわち超自然的な「何か」が作用した結果、ギャンブルに勝てたのである。逆に「何か」が作用しない。あるいは反対の方向に作用してしまったので負ける
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